◆第五福竜丸だけではなかった
また、第五福竜丸をはじめとする多くの漁船が太平洋上で被ばくしたため、水揚げされた魚も放射能で汚染されていた。当時の焼津や東京では、汚染マグロは「原子マグロ」と呼ばれ大量廃棄されている。54年3月15日に築地市場に水揚げされたマグロやヨシキリザメについては、せりが中断され、国の指示によって流通前に場内に埋められた。
「原子マグロ」は、第五福竜丸以外の太平洋上で漁をしている漁船からも水揚げされたわけだが、アメリカ政府からの見舞金は第五福竜丸だけに支払われた。当時としては破格の1人当たり200万円という金額だったために、他の漁船からは恨まれる結果になってしまった。
また、当時は放射能が伝染するという間違った情報もあったため、最終的に第五福竜丸の乗組員は故郷と漁師の仕事を失うことになった。ちなみに、第五福竜丸以外の被ばく漁船の多くは、風評を恐れて事実を公表しなかったとされる。
核保有国による大気圏内核実験は、63年に実験を地下に限定する「部分的核実験禁止条約」が締結されるまで続けられた。原子マグロ、放射能雨、そしてゴジラは、いずれも核実験に起因するものだ。女性の言葉によって、私たちはそれを再認識させられる。そして「長崎の原爆から命拾いしてきた大切な身体」が、ゴジラによって脅かされるという理不尽さが、改めて核兵器に対する怒りを呼び起こすのだ。
◆戦力不保持の理由
男女の会話はさらに続く。
男性B「そろそろ疎開先でも探すとするかな」
女性「私にもどこか探しといてよ」
男性A「あーあ、また疎開か。全くいやだな」
現代ならば「避難」と言うところだろうが、「疎開」という言葉が使われているのは、戦争の惨禍が色濃く残っている時代であるが故だろう。疎開とは「空襲や火災などの被害を少なくするため、建造物や人などを強制的に比較的安全な他の地域へ移動させること」という意味である。本来は自主的にするものではなく、国などによって「強制的に」させられるものだ。
人々が疎開する必要のない社会、つまり戦争の惨禍に脅かされることがない社会を目指すために制定されたのが日本国憲法だった。前文でその決意を表明し、第9条で「戦力の不保持」を明記していることが、その証左である。
また、日本国憲法の草案策定時の首相だった幣原喜重郎が、「戦力の不保持」を明記した理由として「原子爆弾というものができた以上、世界の事情は根本的に変わってしまったと僕は思う。何故ならこの兵器は今後更に幾十倍幾百倍と発達するだろうからだ。恐らく次の戦争は短時間のうちに交戦国の大小都市が悉く灰燼に帰してしまうことになるだろう。そうなれば世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。そして戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる」と述べているように、核兵器の存在を許さない意思表示でもあったのだ。
『ゴジラ』の中のワンシーンに過ぎない会話においても、反戦・反核の思いがはっきりと描かれたのが当時の日本であった。だが、その思いが着実に受け継がれているとは言い難く、戦争の惨禍や核兵器への怒りはどんどん先細っているのが今の日本ではなかろうか。
2017年7月7日、ようやく122カ国・地域の賛成多数で核兵器禁止条約が採択された。あれから1年余りが経つが、日本は未だに参加していない。本来ならば、日本が先頭に立って成立させるべき条約だったはずである。少なくとも、1954年当時の日本であったら、参加を拒む今の政権は許されなかったであろう。だが、そうした政権がやりたい放題になっているのが今の日本の現実である。人々に核の脅威を警告し続けてきたゴジラも、情けなく思っているに違いない。(伊藤宏)