北朝鮮難民の出身地域を訊くと、中国に隣接する咸鏡北道の人が60~70パーセントを占める。逆に黄海南北道や平安南道の人の割合が少ない。
これは食糧事情の差ではなく、中国に出やすいかどうかの反映である。咸鏡北道などの中国に近い地域は山がちで耕作地にも乏しく、かつては北朝鮮の中でももっとも生活が困難な辺境の地であった。だが、93~94年ごろ以降は、中国に隣接している「地の利」によって、平壌を除くと一番生活条件のマシな地域に浮上した。
「茂山は今や北朝鮮の『香港』になったなんて言い合ってます。密輸はできるし、中国にも逃げられる」(茂山在住の密輸屋、30歳の男性)
一方、北朝鮮南部地域の人は、中国に脱出したくともできないのが実情だ。脱出を目指すためには、何重もの検問をかいくぐって国境に達する他ない。交通費や賄賂もそれだけ必要になる。中国に脱出することが、ひとりひとりの難民にとってどれだけ大変な行軍なのか、ご理解いただけただろう。
◆渡河の危険
これまでにも述べたように、鴨緑江の上流や豆満江の中流より上の川幅は数十メートルほどしかなく、川縁に到達するまでの苦難に比べると、渡河は物理的にさほど困難ではないようにみえる。12月中旬から3月中旬ごろまでの厳寒期は川は完全に凍結してトラックでも走れる。この時期なら30秒あれば中国に辿り着くことができるだろう。
だが、渡河に失敗し命を落とす人も少なくない。深みにはまったり、氷の裂け目に落ちて凍死することもあるのだ。溺死体は下流に流されていき、堰や浅瀬に乗り上げる。川縁に住む中国側の住民たちは、渡河に失敗した北朝鮮人の死体を一度や二度は見たことがあるはずだ。
「懐に密輸品の銅板を抱えた若い女性の死体を埋葬したことがある」
「死体が流れ着くと、処理が面倒なので朝鮮側も中国側も棒切れで押し出して下流に流す」
などの悲しい証言は枚挙に暇がない。
また、北朝鮮難民からも渡河失敗にまつわる証言を何度も聞いた。
「10歳になる息子と手を繋いで夜半に豆満江に入ったのですが、思ったより川の流れが速くて二人ともどんどん流されてしまいました。溺れながらも必死で泳いでいたら中国側に着きましたが、子供の姿がありません。明るくなっても見つけることができず、今は無事を祈るばかりです」(咸鏡南道出身、30代の女性)
「子供同士4人で中国に逃けることにして、一斉に泳ぎ始めたんですが、中国に着いても2人がいつまでたっても現れませんでした」(咸鏡北道出身、13歳の男児)
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