97年の大学での女子スカーフ禁止措置は、イスラム団体の反発や教育現場の混乱を招いた。社会的議論となり、一時実施を見合わせる大学も。写真はゼヘラがカバンにつける「スカーフ女子も教育を受ける権利」を求めるバッジ。(2001年・撮影:玉本英子)

◆通学断念の思い

ボアズィチ大学のスカーフ着用禁止措置で大学にいけなくなってしまったゼヘラ・カルカン(21才・当時)。
彼女の家はイスタンブールの新興住宅地にある。近くには、当時、各地で立ち始めた大型ショッピングセンター・カルフールがあった。広大な駐車場に家族連れの車が列を作る。めざましい近代化と中産層の登場は、のちに新興国への仲間入りをするトルコの姿を象徴していた。(玉本英子・アジアプレス

小さな部屋は妹とふたりで使う。勉強机に並ぶ大学の教科書や宗教関連の書籍が並ぶ本棚今回の大学の着用禁止通達で、校内だけスカーフを脱ぐ選択をした女子学生が多いなか、ゼヘラはどうして学業を断念してまで、スカーフを脱ごうとはしないのか。その強い思いはどこから来るのか。私が問いかけると、彼女は言った。

ボアズィチ大学のスカーフ着用禁止措置に抗議し、友人とともにスカーフ姿で大学に入ろうとして警備員に阻止されたゼヘラ・カルカン(21歳・当時)。(2001年・撮影:玉本英子)

◆「これは神さまが定めたこと。私には背けない」

小さな部屋は妹とふたりで使う。勉強机に並ぶ大学の教科書や宗教関連の書籍が並ぶ本棚今回の大学の着用禁止通達で、校内だけスカーフを脱ぐ選択をした女子学生が多いなか、ゼヘラはどうして学業を断念してまで、スカーフを脱ごうとはしないのか。その強い思いはどこから来るのか。私が問いかけると、彼女は言った。

「これは神さまが定めたこと。私には背けない」。
そして、聖典クルアーンのトルコ語解説書から、その教えを記した一節を読んでくれた。

【信徒の女たちに言ってやろう。慎み深く目を下げて、貞淑を守れ。外に表われるものの外は,彼女らの美しいところは人に見せてはならぬ。胸の上には蔽いをかぶせるよう】 (クルアーン・光章:31節)

トルコ語だけでなく、併記されたアラビア語も、たどたどしいながらきちんと読み上げた。
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