◆「スカーフを脱ぐか、大学か」
ゼヘラは大学入学前、イマム・ハティップ校に通った。ここはいわゆるイスラム神学校で、トルコ各地に設置されている。もともとモスクで教えを説くイマムなどを養成する教育機関だ。ゼヘラはこの学校でクルアーンや教義、イスラム史などを学んだ。一般校とは区別されていて、スカーフ着用も認められている。
だが大学進学にあたり別途、試験を受けねばならない。彼女もこの試験を受けて、名門ボアズィチ大学に合格した。
大学に入ったゼヘラは、大学でまだまだやりたいことがたくさんあった。それが突然のスカーフ禁止通達で学業断念を突き付けられることになった。スカーフをしていない女子学生らは彼女の「闘い」を応援してくれたが、大学の方針は変わらなかった。
「ヨーロッパのキリスト教の国々の学校ではイスラム教徒の信仰は尊重されているのに、イスラム教徒がほとんどのトルコでなぜスカーフが認められず、女子学生が苦しまなくてはならないの・・・」
「スカーフを脱ぐか、大学か」を突然迫られたゼヘラ。彼女を支えてくれたのが、家族だった。
◆支えてくれたのは家族
ゼヘラの父アハメッドさん(45歳・当時)は、イスラム団体の職員として働く傍ら、作家としてイスラム関連の著作を多数発表してきた。
娘がイマム・ハティップ校を経て、苦労して名門大学に合格したときは、家族みんなで喜んだという。それが突然、政治の壁で娘の信仰と学業が阻まれることになった。スカーフ禁止措置通達が出されると、アハメッドさんは他の保護者らと大学当局に申し入れをしたり、学業を継続できる救済策を求めたが、対応してもらえなかった。
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