◆「私の祖父はあの時、刺されました」
今日は9月1日。1923年の関東大震災から95年が経ったことになる。
私が関東大震災時の朝鮮人虐殺を描いた『九月、東京の路上で』を刊行したのは、2014年3月のことだが、その翌年、横浜で講演する機会があった。話し終えて片付けをしていると、小柄なおばあさんが近づいてきて、穏やかな表情のままで、こう語った。
写真特集:関東大震災の虐殺事件現場を行く(写真9枚)
「私の祖父はあのとき、トビ口でここを刺されました」
「あのとき」とはもちろん、関東大震災時のことだ。そして、「ここ」とは後頭部のこと。彼女はそのとき、人差し指で自分の後頭部をトントンとたたきながら「ここ」と示したのである。
「奇跡的に生命はとりとめましたが、その後、朝鮮に帰りました」 彼女が日本にいるということは、彼女の父か母の代で、再び日本に来たということだろうか。生命はとりとめたとはいえ、障害は残ったはずだ。言葉に窮している間に、おばあさんはどこかに行ってしまった。
その後、実は私の父が、私の祖父が…という話を、在日朝鮮人からも日本人からも何度も打ち明けられた。私の目の前にいるのが、あのとき殺されていたかもしれない人の子孫なのだという事実は、胸に重かった。
朝鮮人虐殺の記録は、当時の公文書から地域住民の手記に至るまで様々な形で残されている。あまり知られていないが、中国人も殺されている。虐殺事件はその後、歴史学のテーマとして研究されるようになり、今はたいていの中学の歴史教科書にも記されている。そうした研究の蓄積を踏まえてまとめられたのが、2008年に内閣府中央防災会議の専門調査会が発表した「1923関東大震災【第2編】」だ。特にその第4章が虐殺事件に当てられている。
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