◆SNSで支援要請
災害直後、避難所には支援物資が届けられず、住民たちは飲まず食わずの状態で2日間過ごすことになる。
「船木地区の被害が知られているのだろうか。『忘れられた被災地』になっているのではないか」
平本さんはフェイスブックを使って現状を発信し続けた。船木地区の惨状を見た人が次々にシェアしていく。8日午後には5千個のパンが届き、4トントラックで5台分の支援物資が送られてきた。
平本さんは床上浸水を免れた自宅入口にテントを張って緊急のボランティアセンターを開き、全国から寄せられる飲料水や衣類などの生活物資を避難所へ届けていった。
泥水を沼田川に排出するポンプが修復され、10日朝までに水が引き始めた。炊き出しも始まり、避難者からは「久しぶりにご飯を食べたわ」という声が聞かれた。
次は土砂の片づけとがれき撤去――。平本さんの呼びかけを見たボランティアが駆け付けてくれた。炎天下、家屋の床下から土砂をかき出したり、泥まみれになった冷蔵庫やタンス、食器棚などを運び出したり、復旧に向けての第一歩を踏み出した。
「多くの人に助けられています。心が温かく、幸せな気持ちになるのは分かち合い、助け合えるから」という平本さん。猛暑が続く中、褐色に焼けた肌が復旧作業の過酷さを物語っている。
豪雨被害から1カ月もたつと、避難者は疲れて怒りっぽくなったり、体調を崩したり、不安に陥ったりしているケースがあるという。
「床上浸水した年金生活者の多くが将来を見通せていません。年金額は月12万円で、いろいろ引かれて5万円ほどで生活しています。貯金があっても、泥まみれになった冷蔵庫や洗濯機などを買い替えなければならない。家をリフォームして自宅で暮らせるようになったとしても、再び災害に襲われるかもしれない。蓄えを使い果たして大丈夫か、という不安があるのです」
地区を歩くと、田んぼは土砂に埋まったままで、1階部分がむき出しになった家屋が点在している。高齢化も進み、再建をあきらめて出ていく住民も少なくない。(続く)