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旧満州(現中国東北部)からの引揚者・村上敏明さん(83)は戦後、自らの罪の背負い続けてきた。「不戦の誓い」を胸に、今は戦争の語り部として、その体験談を語る。(矢野宏・栗原佳子/新聞うずみ火)
◆「足手まとい」
満州の日本人会がようやく引揚げを開始した時、父はシベリアに抑留されていたが、知るよしもない。村上さんは11歳、2人の弟は9歳、4歳、妹はわずか1歳。日本人会の大人たちから「栄養不良で病弱な子どもは列車の旅で足手まといになるから殺すように」と言われたという。
「母が妹を抱いて、僕が芙美子の小さな口にスプーンで透明の薬を飲ませたのです。瞬間、芙美子は黒い瞳でじっと見て、『お兄ちゃん、何するの』と言っているようでした」
小さな亡骸は、家の近くの川沿いに土葬したという。
ショックのためか、村上さんは引き揚げの時の記憶を長い間失っていた。記憶を呼び覚ますことができたのは、同級生だった小林允(まこと)さんの存在だった。
「36年後に再会した時、『お母さんはどうしている?』と聞いてきました。引き揚げで小林君の家の前を通った時、母が荷車の上で寝たままだったことを心配してくれていたのです。僕はこのことを全く記憶していなかった。さらに、小林君は『君は泣きじゃくり妹を殺したと話していた』と語ってくれたのです」
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