清津市から1997年に脱北したチョンさん一家。2002年にモンゴル脱出時に息子のチョルフン君が中国国境警備隊に撃たれて死亡した。黒龍江省の寒村に潜伏中の2001年1月に撮影石丸次郎

 

◆中国国内での拡散

国境の川を越えた難民たちは、巡察警備の厳しい国境から一刻も早く中国奥深くに移動しなければならない。豆満江の場合、国境から2040キロ入ると延吉、和龍、龍井などの小都市がある。人口の過半が朝鮮族で、これまで格好の潜伏先となっていたのだが、やはり年を追うごとに取り締まりが厳しくなり、さらに奥に入っていかざるをえなくなっている。

先にも述べたが、北朝鮮難民女性の場合は、農村から「嫁入り」のニーズがあるため、朝鮮族農村に拡散していく。朝鮮族農村は延辺朝鮮族自治州だけでなく、黒龍江省のロシア国境近くや遼寧省、山東省、内蒙古自治区にもある。北朝鮮国境から500キロ以上も離れた場所でも、今や北朝鮮難民のいない朝鮮族の村はないのではないか、というのが取材をしてきた私の実感だ。

さらに、北京や上海、果ては香港に近い広州で韓国人が経営する工場で匿われているケ-スもある。このように中国各地に拡散していった理由は次のように考えられる。

(1)数が多すぎて、北朝鮮に隣接する延辺朝鮮族自治州の朝鮮族では静かに保護できる限度を超え、飽和状態になった

(2)難民女性の「ニーズ」が各地にある

(3)中国当局の取り締まりが年ごとに厳しくなり、追われるように各地に散っていった

さて、自由と食糧を求めて北朝鮮を脱出した難民たちにとって、中国が決して安住の地ではないことが明らかになると、難民たちは新たな安住の地を求めて、今度は中国からの脱出を試み始めることになる。ほとんどの場合、それは受け入れる可能性のある韓国が最終目的地になる。

しかし、中国と韓国の間には北朝鮮がはさまれてあるわけであり、韓国に行くためには、海路か空路で向かわなければならない。しかも南北朝鮮と等距離外交を基本方針とする中国は、韓国への直接亡命を認めていない。となると、韓国を目指すには、中国から隣接する国に出る必要が生じる。
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