まる子ちゃんを描いてくれた小学生。(2005年・イラク・アルビルで撮影:坂本)

◆作者さくらももこさんの死 ネットを通して広がる 

小学3年生、まる子の日常生活を描いた漫画「ちびまる子ちゃん」の作家、さくらももこさんが8月、53歳の若さで亡くなった。70年代に小学生生活を送った私にとって、まる子ちゃんは身近な存在でもあり、同世代女性の死に大きなショックを受けた。

ちびまる子ちゃんは、私が取材するイラクでも大人気だった。アラブの衛星テレビ局で放映されていた10年前、小学校の女子児童たちはアラビア語の番組主題歌を歌えた。黒板にまる子ちゃんの顔を描いてくれた子もいたぐらいだ。さくらさんの死を伝えるニュースは、イラクでもネットで広がった。

現在、バグダッドの人道支援機関で働く、女性ヌーフ・アッシさん(29)が連絡をくれた。「まだ若いのにさくらさんの死は悲しすぎる」。

4年生当時のヌーフさん(左端)と同級生。アニメ「ちびまる子ちゃん」に夢中だった。(98年イラク・バグダッドで撮影:ヌーフさん提供)

◆フセイン政権時代にイラクで放映 人気番組に

ヌーフさんはアニメ「ちびまる子ちゃん」の大ファンだった。彼女が番組を見たのは90年代、小学生の時だ。当時、イラクはフセイン政権下で衛星放送もなく、テレビは政府系の2局だけ。そのうちのひとつ、フセインの長男ウダイ氏が運営していた娯楽系のシャバーブ(青年)テレビでは、キャプテン翼、グレンダイザー、ちびまる子ちゃんなどが放映されていた。ヌーフさんは、まる子に夢中になった。

「正義の味方でもない普通の子。お調子者で明るいけれど、小さなことで悩んでいて失敗ばかり。でも、心優しい周りの人たちが助けてくれる。当時の私にそっくり」。午後3時の放映時間は必ず家にいたという。

ヌーフさんは2人姉妹で、お姉さんに甘えていたところも重なった。祖父母はすでに亡くなっていたので、優しいおじいさんのいる、まる子が羨ましくてしかたがなかった。

「日本のアニメと知って、母に日本のことで質問攻めにした。見かねた父が日本についての本を何冊も買ってきたこともあった」と懐かしむ。

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