道路沿いのガソリンスタンドで休憩(カラ・西サハラ/Karaa, West Sahara 2018 撮影:岩崎有一)

 

休憩を終えて、さらに南を目指す。ここはすでに西サハラだ。モロッコではない。

わたしが初めてこの地を訪ねたのは1995年のことだった。こうやって道を走っているかぎり、今も西サハラは、24年前と何も変わらないように見える。
一面の砂景色も、検問所でのもてなしも、西欧からの旅行者の往来も、昔となにも変わらない。魚が豊富に取れるとの決まり文句も、以前と同じだ。

道路沿いのカフェで休憩(地名不明・西サハラ/West Sahara 1995 撮影:岩崎有一)
ブジュドゥール近郊の路上にて(ブジュドゥール近郊・西サハラ/Boujdour,West Sahara 2001 撮影:岩崎有一)
路上の風景は23年経っても変わらない(ダフラ近郊・西サハラ/Dakhla,West Sahara 2018 撮影:岩崎有一)

◆サハラウィの本音はどこに

現地を訪ねてもなお、西サハラは、わかりにくいところだ。

西サハラに暮らしてきた人々は「サハラウィ」と呼ばれている。入植してきたモロッコ人とサハラウィの間に身体的特徴の違いはなく、誰がサハラウィで誰がモロッコ人なのか、こちらには見分けることができない。

「ここ数年で、西サハラは急速に経済的発展を遂げました」
「モロッコ国王がつくりたもうたサハラを、私は愛しています」
「西サハラの独立問題? それはとても複雑なものです。将来のことはわからない」
現地に入っても、こちらに伝わってくるのは、よそ行きの顔をした西サハラばかりだ。帰ってくるのは、あたりさわりのない、きれいな言葉ばかり。ここに暮らす人々の本音にたどり着くことは難しい。
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