◆政府も「朝鮮人のテロ」など存在しなかったと結論
第二に、百田氏は朝鮮人の犯罪を伝える新聞記事も多いと書いているが、その多くは震災直後の混乱のさなかに書かれたものであり、「デマもあった」どころか、それらはおおむね虚報、誤報であった。都心が全焼するなか、新聞各紙は被災者から聞いた流言を元に、いい加減な記事を書き飛ばしていた。「不逞鮮人各所に放火」「主義者と(朝)鮮人一味上水道に毒を撒布」などの朝鮮人関連のものだけでなく、「伊豆諸島すべて沈没」「富士山爆発」「品川が津波で壊滅」といった記事もあった。震災3日後の9月3日には警視庁が新聞社に対して「朝鮮人の妄動に関する風説は虚伝にわたること極めて多く…朝鮮人に関する記事は特に慎重に御考慮の上、一切掲載せざるよう」にとの警告を発している。今では、これらの記事は混乱期の流言を伝えるものとして史料集成などに収められ、虐殺や流言、メディアの研究に供されている。
第三に、「震災に乗じた朝鮮人テログループの犯行」も存在しなかった。先に紹介した司法省報告は、「一定の計画の下に脈絡ある非行をなしたる事跡を認め難し」として政治的なテロ活動の実在を否定している。警視庁の震災総括『大正大震火災誌』(1925年)は、「(朝)鮮人に関する流言は概(おおむ)ね虚伝」だったと記している。テロを目撃したといった回想も残っていない。
第四に、百田氏は司法省報告にある虐殺死者数として233人という数字を挙げているが、これはあくまで刑事事件として立件された53件の被殺者数の合算にすぎず、被殺者の実数ではない。当時の政府は朝鮮人迫害・虐殺事件について「検挙の範囲を顕著なるもののみに限定する」(「臨時震災救護事務局警備部打合せ 大正十二年九月十一日決定事項」)という方針を採っており、それに従って立件されたのが実際の殺害行為の一部だけだったことを思えば、朝鮮人被殺者の実数がこれを大きく上回ることは確実である。当時の政府は事件の全貌を調査しようとはせず、むしろ矮小化に努めたため、虐殺された人の総数については確実なことは言えないが、推計としては、朝鮮総督府警保局による813人(「見込数」として)、吉野作造が朝鮮人留学生らの調査を基に発表した2613人、朝鮮独立運動の機関紙が同じく留学生の調査を集計して発表した6661人などの数字が残されている。いずれも正確なものとは言えず、近年では、殺された朝鮮人の数については「数千人」という幅のある表記をしている歴史書が多い。
加えて指摘しておけば、『日本国紀』の記述では朝鮮人を虐殺したのは自警団のみとなっているが、実際には軍も虐殺を行っている。警官による殺害もあった。
第五に、百田氏は「韓国政府は『数十万人の朝鮮人が虐殺された』と言っている」と書いている。出典が記されていないのではっきりしないが、どうも1959年に李承晩政権下の韓国外務省がまとめた内部文書の中にたった一度だけ、一言だけ出てくる記述を指しているようだ(外務部政務局亜州課「在日韓人北送問題に対する政府の立場」、1959年7月1日付)。だがそれをもって韓国政府の公式見解のように言うのは、いくらなんでも無理があるだろう。私はソウル在住の日韓社会文化研究者の友人にも調べてもらったが、朝鮮人虐殺犠牲者の人数に関する韓国政府の公式見解らしきものは、ついに見当たらなかった。韓国のポピュラーな百科事典である「斗山世界大百科事典」のウェブ版で「関東大虐殺」(韓国ではこう呼ばれている)の項を読むと「虐殺された韓国人の数は明らかではないが、吉野作造は著書『圧迫と虐殺』で2534人と、金承学は『韓国独立運動史』で6066人と集計している」と、ごく常識的な記述が行われている。
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