新潟から帰国船に乗る在日朝鮮人。子どもや中高生の姿が目に留まるが、いったい北朝鮮でどんな生を送ったのだろうか。1961年撮影。故梁永厚さん提供

◆自民党から共産党までが在日の帰国を支持、応援

帰国事業が始まった当時、在日朝鮮人は国民健康保険にも年金にも加入できず、差別でまともな職もなく、多くが貧困に喘いでいた。

1958年、金日成政権と朝鮮総連は、在日朝鮮人に、発展する社会主義祖国の懐に帰り建設に参加するよう帰国を呼び掛けた。

日本社会では「朝鮮人が祖国に帰る人道事業」と位置づけて、自民党から共産党までの政党、多くの労組、自治体、文化人が帰国事業を支持、応援した。また日本政府は、貧窮する在日に生活保護を受ける者が多いために財政負担が大きいこと、また左翼性向の人が多かったことから、帰国事業を「渡りに船」とばかりに、推進する立場を取った。

しかし、北朝鮮に渡った在日は、結果的に北朝鮮で新たな貧困と迫害にさらされることになった。日本と間で離散家族を生むことになり、膨大な数が生死も行方も分からないままだ。

帰国事業の研究をした在野の歴史家・故金英達さんは「帰国事業は在日100年の歴史で最大の悲劇」と位置付けていた。(石丸次郎)

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