不満を漏らすと密告されるかもしれず、同胞のウイグル人にも何も話せない。さらに地元シリア人の住民も戦闘員の彼と距離を置き、ずっと孤独だったという。
空爆が激しくなるなか、トルコへの脱出をアレンジする地下業者を探す。それをIS治安機関が察知、2か月間、拘置された。「中国かトルコのスパイだろ」と、殴る蹴るの拷問を受けた。
釈放後、有志連合の空爆で手を負傷、バイク修理でなんとか生活をつないだ。住んでいた街に戦火が迫り2015年末、家族とともにSDFに投降。妻と子供は別のキャンプに収容されている。
インタビューを終えると、私の取材ノートを見せてほしいと言ってきた。字を見て「あぁ、日本語だ」とホッとした表情で言った。そして再度「顔だけは出さないで。もし公表されたら、故郷の母親や家族が殺される」と求めた。
ISの元戦闘員として中国に送還されたら、彼も家族も厳しい処罰を受ける。ゆえにすべてを正直に語ったとは思わない。ISに加わった外国人の背景は様々で、思想に共鳴した戦闘員もいれば、家族を養うためにシリア入りした者もいる。悲しいのは、中国の弾圧を逃れてきたウイグル人が、今度はシリアで地元住民や異教徒を抑圧する側になり、ときにISからもスパイと疑われたことだ。
「中国でもシリアでも、ずっと怯えてきた。私の心はもう死んでしまった」
アブ・バクルは、力なく言葉を吐いた。この拘置所から出ることができるなら、どこか安全な地で家族だけでひっそり暮らすのが唯一の願いという。
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2019年06月25日付記事に加筆したものです)
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