こうした国内立法措置に、発足当初の日米合同委員会は法案づくりの過程で深く関わった。

日米合同委員会の日本側初代代表となった伊関佑二郎外務省国際協力局長(当時)も、日米合同委員会の重要な任務のひとつは、行政協定の実施にともなう「国内立法措置の緊急処理」であり、「合同委員会で合意した細目にもとづいて」一七の法案が国会に提出され、制定された、と証言している(「日米行政協定にもとづく合同委員会の交渉経過の概要」/『財政経済弘報』1952年8月11日号)。

「航空法特例法」の法案が日米合同委員会の協議を通じてつくられたことを裏づける、米軍の秘密指定解除文書も存在する。

アメリカ統合参謀本部の1952年5月20日付、「日米合同委員会第2回会合覚書」である。

そのなかに、同年5月2日の日米合同委員会「民間航空分科委員会第7回会合」で、「行政協定の実施に備えて航空法からの特例を設けるための法案」について協議されたとある(『アメリカ合衆国対日政策文書集成・アメリカ統合参謀本部資料1953ー1961年』第9巻 石井修・小野直樹監修 柏書房 2000年)。

会合の出席者は、日本側が航空庁(後の運輸省航空局)などの官僚、アメリカ側が米空軍の将校である。

米軍は占領が終わっても、米軍機が最低安全高度や夜間の灯火義務などの規制を受けずに、占領時代と同様に自由に訓練飛行などを続けたいから、「航空法からの特例を設ける」ための協議を日米合同委員会でおこなったのである。

そして、米軍が望む数々の「適用除外」が法案に盛り込まれた。

このように「航空法特例法」は日米合同委員会の密室の合意から生まれた。

それが今日もなお、米軍機が日本各地で爆音を放ちながら、米軍機以外には許されない最低安全高度以下の危険な低空で飛び交い、住民の生活と安全を脅かす根源になっているのだ。
続きの第19回を読む>> 

[日本は主権国家といえるのか?]連載一覧>>

*関連図書
『「日米合同委員会」の研究』謎の権力構造の正体に迫る(創元社)吉田敏浩 2016年
『横田空域』日米合同委員会でつくられた空の壁(角川新書)吉田敏浩 2019年
『日米戦争同盟』従米構造の真実と日米合同委員会(河出書房新社)吉田敏浩 2019年

合わせて読みたい記事

★新着記事