◆若手記者の声明全文

「バク・ヨンヒョン編集局長以下、局長団は『チョ・グク報道惨事』の責任をとって即刻辞めよ」

<ハンギョレ>が恥ずかしい。

5日、チョ・グク法務部長官候補者を批判したコラム「カン・ヒチョルの法曹外伝」が、「局長の指示」という理由で、出稿(公開)された後に一方的に削除されたのは、現在の<ハンギョレ>編集局が腐り切っているという事実を見せた一つの断面に過ぎない。チョ・グク法務部長官候補者が指名された後、<ハンギョレ>はいったい何をしていたのか問いたい。チョ・グク候補者の私募ファンドが公共工事を受注したという疑惑が持ち上がり、彼の娘が医専院(釜山大学医学専門大学院)に2回落第したにもかかわらず、奨学金をもらっていたという事実が報道された時も、<ハンギョレ>は沈黙した。

2017年に文在寅政権が発足した後、<ハンギョレ>の刃はどんどんなまっていった。人事聴聞会の検証チームは、文在寅政権の第一次内閣以来、一度も組織されなかった。取材ではなく「かばいだて」に汲々とした。長官が指名されると、TF(専任チーム)を組織して検証した過去の政府の場合とは全く違う。検証チームを立ち上げようとしない首脳部の無責任な決定のため、<ハンギョレ>は、他の媒体の疑惑報道に無残に引きずられることになった。候補者に対するしっかりとした検証も、間違った疑惑提起に対する追加取材も行われなかった。

それだけではない。法曹チーム(司法担当)の先・後輩たちは、疑惑を提起する記事を書くたびに一方的にトーンダウンさせられたり、タイトルが変えられたりしたと訴えた。デジタル部門では、頻繁に「現政権に批判的な記事は<ハンギョレ>公式SNSアカウントで拡散してはならない」、「特定の記事は<ハンギョレ>トップページでは見えないところに下せ」という指示があった。

チョ・グク疑惑を整理したいという映像チームの提案を、エディタが直接切り捨てるということも起こった。「30代、政治を語る <仮題>」という土曜版のカバーストーリー記事も、「局長の指示」という理由で延期された。チョ・グク候補反対集会に参加した青年たちの剥奪感について発言した青年政治家が登場するからであった。

現政権の発足後、<ハンギョレ>が、これまで報道した内容を振り返ってみよう。キム・テウ捜査官の暴露で浮上した青瓦台特別監察班不正疑惑(※文大統領府が秘密裏に民間人の動向を査察していたとキム捜査官が暴露した事件、2018年12月)、シン・ジェミン前企画財政部事務官の暴露事件(※文大統領府が民間企業であるタバコ最大手KT&Gの社長の交代を指示したと暴露した事件、2018年12月)など、現政権にとって負担になる事件は、他のメディアと比べて、積極的に事実関係を取材して報道したと自負できるか? もし、そうでなかったら、理由は何であり、誰の責任だと考えているのか? もしかして、「積極的に取材して報道するわけにはいかなかった」と考えているのではないか?

他社の記者たちは、手足が縛られた<ハンギョレ>の記者を公然と嘲笑する。内部では、<ハンギョレ>は「新積弊」「旧態メディア」という自嘲的な会話が出てくる。文在寅政府が発足した後、「民主党機関紙」という汚名をしばしば聞いたが、今ほどひどい時はなかった。

バク・ヨンヒョン編集局長だけでなく、局長団の責任も同時に問う。局長団は現政権に批判的な報道ができない状況を積極的に幇助した。若手記者の間では「(かつて社内に)人事聴聞会のTF(専任チーム)があったという話を、まるで都市伝説のように聞かされている」という自嘲的な笑い話が出てくる。

このような報道惨事まで起こっているのだが、いったい、エディタの役割は何だったのか。他社の報道を黙って見ているだけだったのに、関連出入処の記者(大統領府など関連官庁の担当記者)に「あまりにも何も書かなかったから、一度集まって書こう」などと言うのは、エディタが発すべき言葉なのか? チョ・グク候補者の行いに、「はたして違法と言える行為があるのか」というデスクの質問は、「手続き的には違法はなかった」というチョ・グク候補者の言い訳と似ている。

「合法」の枠の中で疎外され差別されている人々に注目してきた<ハンギョレ>が、社会的公正と正義を叫んできた<ハンギョレ>が、「違法ではないから記事化するのは難しい」という言い訳をしている。一抹の恥じすらも感じていない局長団に怒りを禁じえない。

現場でチョ・グク報道について抗議が提起されるたびに「密室」のようなガラスの部屋でどんな論議があったのか、聞きたい。「50代の進歩既得権の男性」を代弁するための新聞に転落したという批判に対し、局長団は深刻に考えたことがあるか? 50代の男性による、50代の男性のための新聞を作って、一部から「絶読」を突きつけられてガタガタになり、読者層を狭めてしまったのは局長と局長団自身である。

局長と局長団の無責任な決定は、「無能力」も一緒に残した。まともな検証をしてみたことがなく、検証の基本作業である登記簿謄本すら一度も取ったことがない若手記者が多い。10年後、20年後に権威的な政府が発足した場合は、今の若手記者に<ハンギョレ>の存在感を証明できると思うか? 

あなたたちはチョ・グクを守るのではなく「害社行為」をしているのだ。後輩記者の取材能力を育てることができる機会を、先輩記者たちは政治的判断で無惨に踏みにじったのだ。後輩たちに、なぜこのような連判状を回すのかと尋ねた先輩たちには、「これまで」何をしていたのかと問い返したい。もう「自分たちの時代には、こんな取材もしたよ」などと言うな。これらのことは「会社内の世代搾取」と呼んでもよい。

いったい、どんな「絶読」が恐ろしいことなのだろうか。安逸な報道を批判する読者は少なくない。「正論・直筆すべき<ハンギョレ>が、なぜ官製メディアになったのか」という電話を受けたこともあった。特定集団の読者の意見だけを「選択的に」代表しているのではないか。2030(20~30代)の取材対象たちは、「私たちはこんなに怒っているけれど、<ハンギョレ>は載せられるんですか? <ハンギョレ>は政権批判をまともにできないんでしょう?」と不信を口にした。

30年前の<ハンギョレ>の創刊の辞を読み返す。

「ハンギョレ新聞は決して特定の政党や政治勢力を支持、反対することを目的とせず、絶対独立した立場、すなわち国民大衆の立場から将来の政治、経済、文化、社会問題を報道して論評する」

(局長らが)あれほど強調する「ハンギョレの論調」とはいったい何なのか聞きたい。政権によって、対象が誰なのかによって、検証基準と水位が変わるのが「ハンギョレの論調」なのか。一部の 「586進歩既得権の男性」の声だけが<ハンギョレ>が言う「国民」なのか。(586=60年代生まれ、80年代に大学入学、現在50代の世代のこと)

社会の不平等、不公正、指導層の偽善を、どのメディアよりも先んじて、鋭く批判してきたのが<ハンギョレ>が頑固に守ってきた論調ではないのか。政治、経済権力から独立したメディアであることが、創刊以来ずっと誇りだと言い続けてきた「宋建鎬精神」ではないのか。(※宋建鎬=ソン・ゴンホ 朴正煕政権の言論弾圧に抗議して東亜日報編集局長を辞し報道の自由を求める闘いの先頭に立った。初代ハンギョレ新聞社長)

一時代、私たちにとって<ハンギョレ>は「ジャーナリズム」と同意語であった。私たちは、今日、<ハンギョレ>の存在理由を、「ジャーナリズム」の価値を共に失った。検察改革の報道も、公正な人事検証も<ハンギョレ>がすべきことである。下手な言い訳に一貫して、「チョ・グク守り」に出しゃばるな。

絶望的な気持ちでこの文を書き進める理由は、それでも、希望を持って<ハンギョレ>を変えるためである。今からでも過ちを認め、言論としての役割を果たしたいのだ。

これ以上。私たちに恥ずかしい思いをさせるな。「記者」の名前によって言論の自由を押さえつけたいなら立ち去れ。過去の先輩たちのように、青瓦台へ、与党へ行け。<ハンギョレ>と言論の自由、そしてあなたたちが言う正義は、我われが守る。

ここに我われは要求する。

1.「チョ・グク候補者関連報道」は、<ハンギョレ>の報道惨事だ。バク・ヨンヒョン局長と局長団はこの事実を認めて、自ら辞任せよ。

2.文在寅政府発足後、検証チームを組織してこなかった理由は何なのか、編集局のメンバーに詳細に明らかにせよ。一方的な通告ではなく、理由を具体的に明らかにした後、質問を受けて疑問を解消することができる場を早急に設けよ。

3.<ハンギョレ>の記事が言論の本来の役割からかい離してしまった最大の理由は、一部のエディタだけで構成された独断的な編集会議にある。編集会議の内容を全て透明に公開し、記事の配置と構成に現場記者の意見を直接的、常時的に集約できる制度を直ちに設けよ。

2019年 9月 6日

クウォン・ヨンジン コ・ハンソル クウォン・ジダム キム・ミヒャン キム・ミンジェ ノ・ジウォン パク・ダヘ パク・ユンギョン パク・ジュンヨン ペ・ジヒョン ソ・ヨンジ シン・ミンジョン シン・ジミン オ・ヨンソ オク・キウォン イ・ジェヨン イ・ジュビン イ・ジヘ イム・ジェウ チャン・ナレ チャン・イェジ チャン・ピルス チョン・グワンジュン チョ・ソンウク チョ・ユンヨン チェ・ユンテ チェ・ミンヨン チェ・イェリン ヒョン・ソウン ファン・グムビ

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