広河隆一氏は戦争の現場で虐げられる人びとを見てきたはずである。編集長時代のデイズでは慰安婦問題も特集していた。彼の問うてきた戦争と被害者への視点とは何だったのか。

広河氏の性暴力やセクハラを受けたのは、人権問題や紛争地の人びとに心を寄せ、写真を学んだり、編集者として関わっていた女性たちだった。私も映像メディアの仕事を始めたころ、取材の手法やカメラの技術をどう習得していいかわからず、プロに教えを請うた。彼女たちも同じだったと思う。広河氏は自分の立場を性的欲求のために使った。

月刊「創」2019年4月号には、広河氏の手記が掲載されている。彼が強いた性関係のいずれも「合意があった」との認識で、「性暴力やセクハラについて理解していなかった」としている。取材経験豊富なジャーナリストが、相手が性行為を望んでいるのか、嫌がっているのか、気持ちを読み取れないはずはない。週刊文春で被害女性は「君のような学歴のない人は、こうしなければ報道では生きていけない、ときつく口止めされた」と証言している。事実なら、これが「合意した相手」に向ける言葉なのか。

ISの襲撃を受けたイラク・シンジャルのヤズディの村。ISは拉致した女性を「奴隷」とし、子供は戦闘員に養成するなどした。(2018年・撮影・玉本英子)

報道活動が称賛を得て周囲に人びとが集まり、実際に彼に憧れた女性もいただろう。支持者に囲まれ、自信を強めるなかで、それが他者への権力へと変わり、性暴力やパワハラに行き着いたとも、うかがえる。その構造の下で、報道写真の権威である彼の存在、「大義ある運動」を守ろうとする人びとが幾重にも立ちはだかり、被害者が長年声を上げることができない状況が生まれてしまった。

デイズを含む広河氏の周囲の人たちにも、被害を見逃し、またはその声を封じ込めた責任はあると考える。しかし広河氏の存在はあまりにも大きく、加えて雇用上の従属関係といった不安も重なったはずだ。自分がもしその場にいたら、声を上げられただろうかと自問する。

十年前、私が大手新聞社記者の結婚式の二次会に参加した時のことだ。新郎の同僚の複数の記者らが、余興で「海外からお客さんです。ロシアパブのナターシャ、タイからは……」と、いくつもの等身大ダッチワイフ人形を並べ、「新郎が月給から何十万も貢いだ相手」と、新婦や女性らの前ではしゃぎたてた。さらに憲法9 条と書かれた風俗の「スケベイス」とサインペンをまわし、参加者に祝いのメッセージを書かせた。これには閉口し、私は拒否した。外に向かっては人権やジャーナリズムを掲げるこの新聞社の記者たちの「虚と実」が、広河氏に重なる。

セクハラ、パワハラだけでも人権侵害だが、今回の事件は性暴力を含むものであり、レイプは刑事罰を科される犯罪である。過去にさかのぼって準強姦罪(現在は準強制性交等罪)で告発され、彼が強いたヌード写真を家宅捜索で押収するなどしないと、被害女性は写真流出の不安に脅え続けなければならない。「創」の手記では、相手と合意はあったが推し量る気持ちがなかったとし、女性への配慮不足だったかのような言い回しだった。国外で脅迫まがいの手法で性行為を強要し、口止めしたことにも触れていない。性暴行の立件可否や時効などで司法の裁きに限界があったとしても、この事件は問われるべきだ。

今回、一連の報道がなければ、過去の事件は発覚せず、広河氏は報道写真界の権威としてとどまっていただろう。これ以上、社会の様々な場で同じような被害を出さない動きが広がることを願う。

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