◆治安部隊の発砲で死亡
2月末、広場の近くで18歳の青年が治安部隊に撃たれ、死亡した。亡くなったのは、アブドゥルラハマン・ハリルさん。私はイラク人の知人を通して、母親(38)から話を聞いた。銃弾を足に受け、担ぎ込まれた病院で手術をしたが、容体が急変し息を引き取った。
「息子の18年の人生が、こんな形で終わるなんて…」。母は、今もその死を受け入れられずにいる。
彼が生まれたのはイラク戦争開戦の1年前。フセイン政権が崩壊しても、生活は豊かにならなかった。06年ごろからイスラム教のスンニ派・シーア派の宗派抗争が先鋭化する。スンニ派のアブドゥルラハマンさんの家族が住んでいたのは、シーア派が多い地区。また、叔母の夫がシーア派だったことから、両派の武装組織から標的にされた。
父が病気で倒れたため、高校進学を断念し、野菜市場で働いた。昨年、念願だった理容師になるために見習いの仕事を見つけた。だが、朝から晩まで働き詰めでも、月給は45万ディナール(日本円で約4万円)。自立できる額ではない。
「生活すらできないのに、夢や希望なんか持てない」。
母の心配をよそに、アブドゥルラハマンさんはデモに通うようになり、命を落とすことになった。
2月26日、自宅近くのモスクで行われた葬儀には、親戚と友人らが参列した。「遺志を継ぎ、僕たちは闘い続ける」と、ともに活動してきた仲間が涙をこぼしながら母親に告げた。
治安部隊の発砲での死者があいつぎ、また新型コロナウイルスの影響もあり、タハリール広場での抗議行動の参加者は減りつつあるという。活動家を狙ったとみられる拉致や殺害事件も起きている。前述のフセインさんは逮捕を恐れ、今月上旬、北部のクルド自治区に逃げた。
この3月20日でイラク戦争開戦から17年。米軍の占領ののち宗派対立、頻発するテロ、ISの登場、そして政治不信やデモ弾圧と、混乱がずっと続いてきた。「希望を持てる日が来ることを信じたい。だけどその日は遠い先のことだろう」。フセインさんは声を曇らせた。
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2020年03月17日付記事に加筆したものです)