◆ISがコバニに総攻撃、病院で自爆車両爆発
その9か月後、ISが突如、コバニ市内に攻め込んできた。圧倒的な戦力のISは、多数の戦車で一気に進撃し、町のほぼ半分を制圧した。村落部からも避難し、隣国トルコに逃れた住民は20万におよび、世界のトップニュースになっていた。
アマル病院はISの標的となり、自爆車両が突撃し、崩壊。建物は崩れ落ち、瓦礫になっていた。
当時、ウクライナで外科医として働いていたモハメド先生はコバニ出身のシリア人。
故郷の惨状に心を痛め、家も車も売り払ってシリアに戻ることを決意。彼は、すぐさま野戦病院で負傷者の救護にあたった。人が集まる病院は砲撃で狙われるため、地下に設置し、数日おきに場所を変えていた。
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先生に毎日来なさいと言われたものの、取材に追われ、私が野戦病院を訪れたのは一日遅れになった。幸い傷は悪化していなかったが、ひざの包帯を取り換えながら、先生は私をにらみつけた。
「なぜもっと早く来ない!傷が悪化して死んだ人をたくさん見てきたんだぞ」
その言葉に私は震えた。戦場取材では緊張を緩めてはいけないと分かっていたつもりだったが、深く反省した。
家族や住民に銃を向けるようなISの負傷者を手当てしたことはあるのか、と私は先生に聞いた。
彼は少し沈黙してから、口を開いた。
「弟はISとの戦いで戦死した。葛藤がないといえば嘘になる。でも、誰であっても命を救うのが医師の職務です」
重傷を負って運ばれてきたエジプト人のIS戦闘員を、7時間かけて手術したこともあった。
「この男が治療を終えれば、いつか自分たちの首を切り落としに来るかもしれないとの思いがよぎった」と話す。
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