◆『ガンダム』に重なる戦火の人びとの姿
富野総監督の構想をベースに、この回の絵作りをした安彦さんにとっても、好きなシーンの一つだという。
「アムロが近くから撃つと、ジオン兵の腹に当たる。もうひとりが逃げて、アムロは後ろから何度も撃つけど当たらない。ヒーローなのに。『なんてことするの、お前も荒(すさ)んだね』と母は嘆く。それでも母が発砲を回想する時には、アムロは格好よく撃つ姿になっている」
戦争で変わってしまった息子の姿に当惑しながらも、複雑に揺れる母の心の描写は、以前の私には分からなかった。紛争地で取材を続けるうちに、それらのエピソードが改めて思い起されるようになった。
内戦下のシリアでは、戦死して遺体となって戻った息子の棺(ひつぎ)に泣き崩れる母親を目の前にして胸が痛んだ。
武装組織に拉致され、戦闘員にさせられた17歳の少年、アサド政権の空爆で家を破壊され難民キャンプに身を寄せる一家もいた。戦争に翻弄(ほんろう)され戦火に苦しむ人びとの姿が、『ガンダム』のいくつものシーンに重なった。
◆「小さき者の視点」で見つめる
安彦さんは言う。
「『機動戦士ガンダム』の重要なファクターが『小さき者の視点』なんです。若い主人公たちが、彼らの目線で、なぜなのか分からないまま、戦争という巨大な力に巻き込まれ、戦わざるを得なくなっていく」
戦争では、いつも「大義」が掲げられる。自由、革命、領土、宗教、民族解放……。大きな正義のなかで、個々の小さき者が犠牲になる。兵士や母、避難民の子ども、それぞれの「小さき者の視点」で、『ガンダム』は戦争を見つめた。善悪の戦いではなく、あくまで人間どうしの戦いを描いたストーリーだからこそ、実際の戦争を映し出すリアルさを持っていた。
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2020年7月21日付記事に加筆したものです)