――今、北朝鮮にもっとも必要な物資は何ですか?

A やはり医薬品ですよ。医薬品がなくなってしまって、生きられるはずの人が死に、病気の人は悪化するばかりです。中国との貿易が止まって薬が入って来なくなったせいです。8月以降だけでも、近隣のお年寄りの6割位が死んだと思います。深刻な状態です。薬がないため、民間療法(鍼や灸など)ができる人たちが金持ちになるほどです。

――国際社会が北朝鮮の人々を支援するとしたら、どうすればよいでしょうか?

A 医薬品を支援してほしいですが、家庭に常備薬を支給するようにしてほしい。国に渡すと、国が住民に販売するので貧しい人たちには役に立たないのです。

◆浮浪児が何人も死にました

次に話を聞いたB氏は二人の子供を持つシングルマザーだ。やはり市中心部に住む。

 

――外出禁止になって住民たちは食糧をどうやって手に入れていたのですか? 政府が支給したのですか?

B 無料で配るのではなく、企業所が所属労働者にトウモロコシ2200ウォン、白米4800~5000ウォンで販売したんです(1キロ当たり)。人民委員会(地方政府)からは何も支給されませんでした。だから職場のない人たちには、封鎖期間中に何ももらえませんでした
※北朝鮮1000ウォンは約14.3円

――お金のない人はどうしましたか?

B 困窮世帯には、封鎖が始まって1週間くらい経ってから、やはり企業所が労働者にトウモロコシを3~7キロを配給しました。1カ月分としてです。まったく足りないのですが、それでも、もらえる人ともらえない人が生じて、不満が出ていましたね。食べる物がなくて、夜に外に出て盗みを働く者が大勢捕まっていました。(暖房用の)薪を盗むために民家の倉庫を荒らす事件も多かった。

――飢えて死ぬ人はいましたか?

B 「『コチェビ』(浮浪児)が何人も死んだようです。封鎖の時、安全局(警察)が集めて恵山旅館に収容したんですが、食べ物をまともに与えない上、寒くて…。でも『コチェビ』の子供たちには親がいないから、人々も関心が薄いですね。

封鎖中に飢えや病気で死んだ人がどれくらいになるのか、はっきりしたことは分かりません。でも、少なくとも栄養失調になった人は大勢いましたね。恵山靴工場では、封鎖解除の翌日の16日の式典(金正日氏の生誕記念の祝日)があったのに、なんと三割が出勤しなかったんです。皆、病気による欠勤でした。

※ 2/16 16:40 訂正します。 封鎖期間中の食糧購入は人民班を通してしたとしましたが、確認したところ、 企業所を通じての購入の間違いでした。人民班では緊急用の予備食糧50キロを保管していただけで販売はなかった模様です。
※アジアプレスでは中国の携帯電話を北朝鮮に搬入して連絡を取り合っている。

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