その後、アウンサンスーチーさんは自宅軟禁を解かれる。形式上の民政移管が進められ、議会補欠選挙では、彼女が率いるNLDが圧勝。私は再びミャンマーに入り、歓喜に沸く市民を取材した。誰もが政治について自由に語り始めていた。しかし軍政に有利な憲法は変わらず、権力は温存されたままだった。
2014年、ウィンティンさんが病気で亡くなったとの知らせを聞いた。葬儀の際、棺に納められた亡骸(なきがら)は、青いシャツをまとっていたという。彼の遺(のこ)した言葉を思い起こした。
「すぐに民主化は実現しないだろう。私たちは何年も闘ってきたし、これからも闘うことになる。幾多の困難があっても、前進することが重要です」。
2月のクーデター後、軍は国民の統制に乗り出し、情報の遮断も始めた。ミャンマー全体が再び監獄のようになりつつある。弾圧に直面する人びとが、本当の意味で青い服を脱げる日は来るのだろうか。日本を含む国際社会は、人権状況に関心を寄せ続けるべきだ。
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2021年3月30日付記事に加筆したものです)
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