◆赤とんぼは収容所で唄われたか?
在日コリアン4世の清水ハン栄治監督が作った「トウルーノース」は、北朝鮮の政治犯収容所の内情を描いたアニメーション映画だ。収容所は衛星で空から見た輪郭以外、まったく不可視の施設だ。
その内部をリアルに描くため、清水監督は収容経験のある脱北者と元看守から聞き取り調査を繰り返した。対象には、日本から北朝鮮に渡った在日朝鮮人(以下「在日」)の収容経験者もいた。
「夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か…」
手製の奚琴(ヘグム) という朝鮮の楽器を奏でながら、主人公の妹ミヒが唄う。北朝鮮で、それも収容所の中で日本語の歌? 十分にあり得ることなのである。
◆日本から北朝鮮に渡った人々
今から60余年前、日本から北朝鮮への民族大移動が始まった。1959年12月から25年間で9万3000人余り。在日朝鮮人 とその日本人家族たちだ。主人公ヨハンの父・ヨンジンもその中にいた、というのが作中の設定だ。なぜ日本から北朝鮮に渡ったのだろうか?
日本がアジア太平洋戦争で敗北すると、35年余りの植民地支配から解放された朝鮮人は、やっと自分たちの国を取り戻して独立できると沸き立った。しかし世界は社会主義陣営と資本主義陣営に分かれて対立する冷戦が始まる。1948年、北朝鮮と韓国という二つの国が樹立され、2年後には戦争が起こって朝鮮半島の分断は決定的になってしまった。この時、日本には植民地時代から移り住んでいた朝鮮人が約55万人いたが、北朝鮮を支持する勢力と韓国を支持する勢力が生まれ、「在日」の間にも南北分断が形成されてしまう。
「在日」は、日本社会でひどい差別にさらされていた。健康保険、年金にも加入できず、就職もままならない。大半が不安定で貧しい暮らしを強いられ将来に展望が見えない状況だった。その時、北朝鮮の金日成首相(当時)は祖国への帰国を呼びかける。当時は自民党岸信介政権。北朝鮮への帰国を、「在日」を厄介払いするための「渡りに船」としたい勢力があった。
一方、社会党や共産党などは人道問題だとして「在日」の帰国を支援、労働組合やマスコミもこぞって賛同した。在日朝鮮総連によって「北朝鮮は地上の楽園」「急発展する社会主義祖国」というキャンペーンも行われた。このように、日本社会がこぞって背中を押すことで、10万人近い「在日」と日本人家族が北朝鮮に向かう帰国船に乗ったのだった。
「在日」帰国者の大半は地方都市に配置されたが、ヨハン一家のように首都平壌に配置された人も少なくなかった。だが、日本で受けた宣伝とは異なり、実際の北朝鮮はあらゆる物資が欠乏する貧しく自由のない国だった。帰国者たちは日本に残った親族からの援助にすがることになる。
平壌の小奇麗なアパートで裕福な暮しをしているヨハンの家には、日本から送られてきた写真が飾られていた。日本から仕送りがあることを想像させる。一方で、「在日」帰国者は、資本主義の自由な社会から来た異端者、日本や韓国と内通する可能性がある要監視対象とみなされ、北朝鮮でも疎外されていく。
◆夜中の突然の連行
ヨハンの父親ヨンジンは出勤したきり家に戻ってこない。心配して帰りを待つ妻と二人の子供は、夜中に踏み込んできた保衛部員(秘密警察)によって連行されてしまう。理由も告げられず、逮捕令状もなく。
これには多くの証言がある。私が取材したある脱北帰国者の女性は、70年代に二人の兄が出勤したまま家に戻って来なかった。80年代には二人の息子も出張に出たきり行方が分からなくなった。なぜ、どこに連行されたのか、必死になって調べても当局は何も教えてくれない。彼女は逮捕されることはなかったが、都市から僻地の農村に追放された。
父と祖父母が京都から北朝鮮に渡り平壌で生まれた姜哲煥(カン・チョルファン) さんは、1977年に祖父が行方不明になった後、夜中に家宅捜索に来た保衛部によって祖母、父、叔父、妹と共に収容所に連行された。姜さんはこの時9歳、その後の収容生活は10年に及んだ。
◆二種類の政治犯
そもそも北朝鮮において政治犯とは何のことを言うのだろうか?
北朝鮮には二種類の政治犯が存在する。ひとつは刑法によって罰せれた人たちだ。北朝鮮の刑法には「反国家及び反民族犯罪」の章があり、国家転覆陰謀、テロ、反国家宣伝煽動、祖国反逆、民族反逆、間諜(スパイ) などの項目で罪刑を定めている。
例えば「反国家的目的で宣伝、煽動行為をした者は5年以下の労働教化刑に処する。情状が特に重い場合は、5年以上10年以下の労働強化刑に処する」とある(2015年改訂刑法の62条)。政府の政策を批判したり、異見を書いたビラを撒いたり、落書きをしたりすれば、これは刑法に基づいて処罰され「法定政治犯」となり得るわけだ。この場合は教化所(刑務所)に送られる。管轄するのは社会安全省(警察)だ。これは他国にもある。