◆作家・江馬修の被災

1923(大正12)年9月1日午前11時58分、関東一円をマグニチュード7.9の大地震が襲った。小説家・江馬修(1889~1975)は東京府下代々木初台の自宅で校正刷りに向かっていた。昼食の用意された座敷の円テーブルに座って家族とともに食べ始めたところへ、不意に「何とも言われぬ、異様な衝動」を感じた。

江馬は「いよいよ来たな」と心で呟き、本能的に屋外へ逃れようとした。しかし自分だけ飛び出すわけにはいかない。江馬には妻と二人の娘があった。何よりも二人の子を助け出さねばならなかった。長女を見ると、彼女はテーブルに向かって箸を持ったまま、「母ちゃん、味噌汁がこぼれるよ!」と叫んでいた。

江馬は家屋が激しく振動する中、書斎に飛び込み、寝かされていた次女を抱き上げて、「疾風のように中庭へ飛び降りた」。そして後から来る妻と長女のために木戸を開け放ち、前庭へと走った。江馬は寝間着に裸足のままだったという。

「見渡す限り家屋ばかりでなく、あらゆる樹林、立木、電柱なぞ、大地の烈しい怒りに怯えたように大きく震えおののいていた。そして、大浪の鳴るような、ごうごうというもの凄い音の中から、人間のうろたえた絶望的な叫喚が痛ましくも雑然と湧き上がった」(『羊の怒る時』)

この時江馬は、なかなか屋外へ出てこなかった妻を叱ってこう言う。

「お前には今どんな恐ろしい事が起っているのか分らないのか」。

空に舞い昇る黒煙を眺めながら、江馬は「さらに新しい恐ろしい災厄」が始まろうとしているのを予感する。(敬称略 続く 2

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劉 永昇(りゅう・えいしょう)
「風媒社」編集長。雑誌『追伸』同人。1963年、名古屋市生まれの在日コリアン3世。早稲田大学卒。雑誌編集者、フリー編集者を経て95年に同社へ。98年より現職。著作に『日本を滅ぼす原発大災害』(共著)など。

※訂正します。2022年1月21日10時30分
記事中で使用した追悼碑の写真が間違っていました。墨田区に建てられた「関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」を、都立横綱町公園の追悼碑と誤って使っていました。差し替えました。

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