◆「昭和」の曝露切り捨てか

事務局の市教育委員会は「昭和50年代の工事で普通教室だったものを大きな空間として使うために間仕切りをとった工事をしています。昭和50年代なので工事書類とかはまったく残ってない。どういうふうな形で施工されたかまでは推測ができない」と答えた。

伊藤委員は「当時の事務員や用務員の方に話を聞くとか、できませんでしょうか」と食い下がったが、市は「40年前の工事で、どこまでできるのかわかりかねる」と繰り返すばかりだ。

東座長も「40年前になりますと、なかなか事実関係の調査は大変。そのころのかた(生徒)はすでに中高年。そこまで考えていくかどうかは議論がある」「あまりやりすぎても不確実なことになりかねない」などと消極的な姿勢に終始した。

結局、座長によるこの日のまとめにも「昭和」のアスベスト曝露について積極的に検証すべきとの方針は入れられなかった。

学校で間仕切りの撤去はしばしば実施されることである。そして残念ながら、天井裏に吹き付けアスベストがあるにもかかわらず、適切な対策が講じられない事例はいまだに少なくない。実際に今回の問題発覚後に堺市が天井板が破損・欠損していた2校について、2021年7月あわてて補修工事を実施したがアスベストの飛散防止「なし」だったことからもうかがえよう(市は適正と主張)。

学校の吹き付けアスベストが社会問題になった「学校パニック」は1987年(昭和62年)で、その後除去作業における対策がようやく少しずつ始まっていく。当時の労働安全衛生法(安衛法)特定化学物質障害予防規則(特化則)や大気汚染防止法(大防法)で除去時の隔離などが義務づけられたのは1995年(平成7年)である。

「昭和50年代」であれば改修・解体時の規制がなかったうえ、学校パニック前のため、アスベストの飛散防止対策が講じられることはよほど特殊な事情がない限り考えられない。

日本の規制が緩かったことが原因だが、だからといってその当時在学していた児童らのアスベスト曝露を考えなくて良いのだろうか。

当日会合を傍聴した堺市民で「アスベスト患者と家族の会連絡会」の古川和子さんは「いま発病した人が労災などの手続きをとるときに、40年前、50年前の曝露を必死に調べている。堺市だってやろうと思えばできるはずですよ。職員なり関係者を探すなり、努力をしないといけない。その努力をおこたっている。怒りを感じます」と指摘する。

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