◆中島敦の〈朝鮮〉体験
植民地という異空間で少年期を送った中島敦は、外地の風景に置かれた内地人であった。そんな彼にとって関東大震災とは、何よりも朝鮮人が日本で虐殺された事件のことだった。それは内地の文壇作家が誰一人として書き得なかった主題だった。
短編「巡査の居る風景」を書いた時点で中島はいまだ文学者志望の学生に過ぎなかった。しかし彼はその後も朝鮮や中国を題材にした作品を書き、パラオに赴任して以後は、一連の南洋ものを発表する。ある時期まで彼のまなざしは、植民地という〈土地〉に根ざしながら、そこに生きる人間を(支配者たる日本人も含めて)複眼的にとらえようと試みていた。
後に中島の全集を編纂する一高同窓生・氷上英広によれば、中島自身はこの作品を単体で発表すると「左翼のように思われる」ので、「毒消し」のために別の作品を同時に掲載したという(小谷汪之『中島敦の朝鮮と南洋』)。
震災後6年にして復興の進む帝都の言論空間は、そのようなものであった。(敬称略 続く 14 )
劉 永昇(りゅう・えいしょう)
「風媒社」編集長。雑誌『追伸』同人。1963年、名古屋市生まれの在日コリアン3世。早稲田大学卒。雑誌編集者、フリー編集者を経て95年に同社へ。98年より現職。著作に『日本を滅ぼす原発大災害』(共著)など。
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