◆5年ごとに戦争をしていた帝国・日本
残虐行為は被害者の心身を傷つけるが、同時に加害者の心にも傷を与える。残虐の度合いが激しいほど、加害者の心の傷は深まり、苦しみは長引くことになる。
近代国家・明治は、戊辰戦争と西南戦争という二つの内戦を経て成立し、その後、ほぼ5年ごとに日本は戦争や対外出兵などの軍事行動を行ってきた。
1894〜5 日清戦争
1900 義和団戦争
1904〜5 日露戦争
1910 日韓併合
1914〜18 第一次世界大戦
1918〜22 シベリア出兵
1927〜28 山東出兵
1931 満州事変
1937 日中戦争(支那事変)
1941 アジア太平洋戦争(大東亜戦争)
1945 アジア太平洋戦争敗戦
日本は国内に抱えるさまざまな矛盾を、対外戦争によって解消してきた。アジア太平洋戦争でアメリカに全面敗北するまで、多くの戦争で有利な果実を獲得していたため、国民が戦争に否定的な印象をもっていなかったことも事実だ。
だが華々しい戦果の陰には少なくない戦死者がいたし、傷病兵も数多く存在していた。兵器の近代化が進んだ日露戦争では約3万7000人もの傷病兵が生まれた。政府は1906(明治39)年に「廃兵院」を設置し、傷病兵を収容、国費での終生扶養を決めた。戦争の負の側面は社会から隔離され、国による傷病者保護が強調された。(敬称略 続く 18 )
劉 永昇(りゅう・えいしょう)
「風媒社」編集長。雑誌『追伸』同人。1963年、名古屋市生まれの在日コリアン3世。早稲田大学卒。雑誌編集者、フリー編集者を経て95年に同社へ。98年より現職。著作に『日本を滅ぼす原発大災害』(共著)など。
併せて読みたい記事
1 2