2018年4月、ニカラグア全土に拡大した反政府抗議活動を、オルテガ政権は実弾で鎮圧し、300人以上(600人以上とも)が死亡し、数千人が負傷した。活動の中で我が子を亡くした母親たちが声をあげている。真相究明を求める母親の一人・マルガリータさんに話を聞いた。(文・写真 柴田大輔)
fa-arrow-circle-right<ニカラグア写真報告>裏切られた革命(1)民衆に怯える「革命の英雄」オルテガ
◆「息子はオルテガ与党のFSLN関係者に殺害された」
「42カ月です」
息子を亡くしてからの時間を、マルガリータ・メンドーサさん(52)はこう表現した。
「もう4年が経ちますね」と聞いた私の曖昧な時間感覚を打ち消す言葉だった。
マルガリータさんは真っ直ぐこちらを見つめ、こう続けた。
「息子が家を出た日から、毎日数えています。何日、何カ月。それが、今の私の生活です」
マルガリータさんの次男ハビエルさん(当時19歳)が亡くなったのは、2018年5月。マナグア市内のニカラグア工科大学で抗議活動中、与党サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)関係者に拉致され、収容先の刑務所で受けた拷問で命を落とした。
2021年11月、私が約2年ぶりにマルガリータさんをマナグア市内の自宅に訪ねると、彼女は仕事から戻ったところだった。近所の家庭で、部屋の掃除や料理を手伝だっているという。前年から体調を崩しているといい、以前よりやつれていた。
トタン屋根に板張りの二部屋を借り、夫と二人で暮らす。「中は暑いから」と、軒先の木製ベンチに並んで腰掛けた。自宅前の街路樹の影になる。路地を行き交うバイクや車の音と共に風が吹き込み、汗を冷やす。
「目を瞑ると、息子が帰ってくる気がします。彼女でも連れて、そのドアを開けるんじゃないかって。私は病気がちでしたが、息子を亡くしさらに悪くなりました」
そう近況を話すと、怒りを込めてこう続けた。
「この間、真相は全く解明されていません。私の息子はなぜ死ななければならなかったのか。この国の不正義は、今も続いています」
◆反政府行動に向い拉致され拷問
2018年5月8日、19歳だったハビエルさんは友人に仕事を紹介してもらうと言い残して家を出た。友人らの話では、用事を済ませたハビエルさんは、当時、治安部隊と学生が激しく衝突するニカラグア工科大学に向かった。
その日の夜、ハビエルさんは、大学近くでFSLNの下部組織メンバーに殴られ、友人と共に車に押し込まれた。その日のうちに警察署から刑務所に移送され、さらに暴行を受けたという。
家に戻らない息子を心配したマルガリータさんは、息子が家を出た翌日から市内の病院や警察署、刑務所に何度も足を運んだが、消息はつかめなかった。
失踪から10日、司法解剖医から、遺体の確認を求める電話がかかってきた。震える自分を叱咤し、マルガリータさんは家を出た。医療施設の遺体安置室に、大きく腫れ上がり、紫色に顔が変色したハビエルさんがいた。別人のようだった。
医師は、彼が家を出た8日から遺体が安置されていたと話した。マルガリータさんはこの間、警察署や刑務所だけでなく、この施設も訪ねていた。その都度、各所で「該当者はいない」と繰り返された。
次のページ: ◆「誰が息子を殺したのか?」 裁判もなく逆に監視受ける... ↓