◆終わらぬ「ハラブジャの悲劇」
3月16日、イラク北東部のクルド人の町ハラブジャで、化学兵器攻撃の犠牲者追悼式典が行われた。34年前のこの日、フセイン政権下のイラク軍による化学兵器攻撃で5000人を超える住民が死亡した。ネットを通じて参加者に聞いた。
【動画】シリア・ダマスカス近郊 化学兵器攻撃 数百人の犠牲者のほとんどは一般市民
今年の追悼式典は市内3か所で行われ、犠牲者の家族や地元政治家らが参加した。化学兵器攻撃があった午前11時35分、犠牲者を追悼し、黙とうが捧げられた。
式典に出席したマハムード・ハマさん(55)は、攻撃で父親や親戚を失った。
「この町では、34年が過ぎた今でも呼吸器系疾患や視覚障害の後遺症に苦しんでいる人たちが数百人もいる。高齢の母も化学ガスの皮膚疾患を抱えている。被害者たちへの十分な救済や支援もなされず、悲劇は終わっていない」と心情を打ち明けた。
化学兵器の悲惨さを身をもって経験してきたハラブジャの被害者たちは、長年、化学兵器の使用禁止を訴えてきた。しかし、現在も化学兵器を保有する国は存在し、シリア内戦では市民に対して化学兵器が使われた。
「どんな戦争でも化学兵器を使うべきではない。私たちが経験したあの惨禍を2度と繰り返してはならない」。マハムードさんは訴えた。(玉本英子/アジアプレス)
【ハラブジャ化学兵器攻撃】
イラク・イラン戦争の末期の1988年、当時のフセイン政権は、ハラブジャの町を攻撃した。サリンを含む化学物質を搭載した爆弾により、子どもを含む住民5000人が命を落とした。町の人たちは、この化学兵器攻撃を広島・長崎の原爆投下になぞらえ、ハラブジャとヒロシマを重ねた「ハラブシマ」と呼び、心に刻んでいる。