◆ニカラグアで迎えた最後
昨年12月、ニカラグアから帰国した私は、所用で丸山さんに電話をかけた。繋がらなかったが、1時間後に折り返しがあった。「あら、柴田さんだったの」。そう、とぼけるように話す丸山さんの口振りに、日本人と話すことへの嬉しさを、精一杯押しとどめる様子が伝わってきた。
近年、病気がちな丸山さんは、人付き合いが減っていたと聞いた。近所との関係も、あまりいいものではなかったようだ。訪ねてくる日本人も少なかった。自分だけが取り残されたような寂しさを感じていたのかもしれない。この国は丸山さんにとってどんな場所だったのか。丸山さんはこう言った。
「ここは気候がいいんですよ。気に入ってるんです。日陰に入ると、うんと涼しくて。私、それが、うんと大好き」
2022年2月、マナグア在住の知人から「丸山さんが1月末に亡くなった」との知らせがあった。74歳だった。日本を出て、35年が過ぎていた。
◆「革命」へのプライド
42年前、ソモサ独裁政権を倒し、新しい国を作る試みがニカラグアで始まった。
私は、ニカラグアの現政権下で暮らす人々を取材する中で、いかにニカラグアの人々が「革命」という言葉を大切にしているかを知った。言い方は違うが、何人もの人が「私は、私なりの革命を続けていく」と話すのを聞いたとき、この国で根付く「革命」に込められた意味を知った気がした。
ニカラグアではかつて、自由と平等を求める国民が力を合わせ、独裁者を追放し、国を変えることに成功した。その瞬間、誰もが理想の社会を作る当事者として、「革命の主人公」になったのだ。
「やればできる」という言い方は、安易だろうか。しかし、ニカラグアの人々は42年前、不可能だと思われたことをやってのけた。その「自分の力で世界を変えることができる」という実感と、それをやってのけた自分たちへのプライドが「私は、私なりの革命を続けていく」という言葉の背景にあると感じた。
軍を抑えているとされるオルテガ大統領の権力基盤は、未だ強固に見える。しかし、事務所が閉鎖されるなど、政府が「潰した」はずの新聞、ラジオ、人権団体は、ネットを駆使して日々情報を発信・拡散している。その情報源はニカラグアに暮らす市井の人々である。
「自由」を求める人々を力で抑えることはできない。かつてそれを証明したのが「革命の英雄」ではなかったか。弾圧は、独裁者の怯えであると国民は気付いている。あげ続けられる声が、独裁者を追い詰めている。(了)
ニカラグアの40年
左翼ゲリラ・サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)を率いたオルテガ氏は1979年、ソモサ一族による独裁政権を倒し革命を成功させ、84年、大統領に初当選。90年の選挙で敗北するが、06年に大統領に復帰すると、14年、大統領の再選禁止規定を撤廃し、17年には夫人を副大統領にした。18年の反政府デモへの武力鎮圧では300人以上が死亡するなど、強権的な独裁政治が批判される。21年の大統領選で勝利し、4期連続5回目の大統領に就任した。
柴田大輔(しばた だいすけ)
フォトジャーナリスト、フリーランスとして活動。 1980年茨城県出身。2006年よりニカラグアなど、ラテンアメリカの取材をはじめる。コロンビアにおける紛争、麻薬、和平プロセスを継続取材。国内では茨城を拠点に、土地と人の関係、障害福祉等をテーマに取材している。