fa-arrow-circle-right<ミャンマー>懲役3年の判決受けた日本育ちの映像作家ダンさん(1)
3月末に懲役3年という不当判決をミャンマーの国軍支配化の裁判所で受けた在日ミャンマー人映像作家テインダンさんは、現在ヤンゴンのインセイン刑務所で収監中だ。前回のレポートで彼が不当に拘束され拷問の末に有罪にされてしまう経緯を説明したが、今回は彼の獄中でどうしているのか、断片的に漏れ伝わる情報からわかったことを紹介したい。
インセイン刑務所から釈放された政治犯らの話では、テインダンさんは200人ほどが収容される大きな雑居房に押し押し込められ、床に雑魚寝させられている。なんでも、あまりに収容する政治犯の数が多いため、瞑想をするための建物を牢獄にしているのだという。
◆スケッチされていた獄中のダンさん
同じ雑居房には画家がいた。その画家は昨年10月の恩赦で釈放された際に、獄中で描いたスケッチを持ち出している。そのうちの1枚は、テインダンさんを描いたものだ。紙に青のボールペンで描いたものだが、南国を感じさせる大きな瞳などが彼らしい雰囲気を感じさせる。背景には、多くの政治犯が読書したり歓談したりと、思い思いに時間を過ごす様子が記されている。
外国人であるため特別待遇だった私は独房に収容されていたため、一般の政治犯と同じ環境で過ごしたわけではない。しかし私は、必要なものがあるだの、化膿した傷の治療だのといろいろな理由をつけて連れ出してもらい、刑務所がどうなっているのか観察しようとしていた。そして、多数の政治犯がいるエリアを目にする機会があった。
私は、日本人ジャーナリストということで刑務所の中で有名になっていた。私が看守に連れられて一般の政治犯が収容されている区画を歩くと、木陰などで休んでいた政治犯がすすっと寄ってきて、私に話しかける。「僕は拷問を受けたんだ」などと自分の身に起きたことを伝えようとするのだ。
「ウィー・ウォント・デモクラシー(民主主義が欲しい)」とだけささやいて、すぐに離れる男性もいた。こうした行動は、看守がすぐ近くにいるだけに危険が伴うが、それでも外国の記者に伝えたいことがあるのだ。
ただ、テインダンさんは昨年3月末に実刑判決を受けたため、今後、懲役刑に伴う労役に就くとみられる。それに伴って収容場所が変わる可能性があり、今も彼が同じ雑居房にいるのかは定かではない。
◆インセイン刑務所の過酷な状況
実はインセイン刑務所のありとあらゆる業務は、受刑者が行っている。看守しかできない警備や見回り、牢獄の施錠などのほかは、ほとんどすべてが受刑者に丸投げされている印象だ。刑務所の食事に使われるナスやカボチャを育てる農作業のほか、収容者の食事の調理や、書類整理などの事務作業に従事している受刑者がいた。
そのほかにも例えば、私の取り調べの際の通訳は受刑者が務めていた。刑務所内で宗教行事を執り行う際には、元僧侶の受刑者を呼ぶのだという。私が見た受刑者の農作業は、炎天下でろくな農具もなく素手と裸足で雑草をむしるなどの作業を強いられる大変厳しいもので、割り当てられる作業によって過酷さは大きく違うようだ。
受刑者になると、それまでは私物だった服に代わって、囚人服を着せられることになる。囚人服は青の民族衣装で、男性は巻スカートのロンジーを着る。刑務所で私と同じVIP(重要人物)用の獄舎にいたジャーナリストのハンターネインさんは、懲役刑の宣告後に別の事件で起訴され、囚人服と足かせをはめられた状態で出廷したとされ、彼の支援者がそのイラストを公開している。ただ、私は足かせをはめられている受刑者を刑務所内で目撃したことはなく、常時足かせを強いられているわけではない。
さて、こうした厳しい状況にあるテインダンさんから、関係者あてに何回かメッセージが届いている。最新のものでは、拘束されてからの1年を「笑えるくらい壮絶な経験をしました。日本の仲間がうらやましがるくらい映画のような日々」と冗談めかして振り返っている。
また「眠れない日々を多く過ごしました」としており、拷問でのトラウマ、家族や友人はどうしているか、一緒に拘束された仲間のこと、将来の心配など様々な思いが去来していることがうかがえる。
それでも「外に出られたら、多くの人を救えるような活動をします。このまま終わるダンではありません」と前向きな気持ちをつづっている。また、日本人に対して「日本の皆さんに感謝をお伝えください。日本のようにミャンマーも1日も早く平和になるようお力をください」と訴えかけた。
その一方で長引く収監の中で、彼の心情は揺れ動いているようだ。以前のメッセージでは、「日本のすべてが恋しい」などと望郷の念を吐露することもあった。
◆クーデター後の政治犯は1万3000人超
彼のような状況にいる政治犯は、市民団体の政治犯支援協会(AAPP)が把握しているだけでも、クーデター以降1万3200人を超えた。まだ収監されたままの政治犯も数千人は下らず、今でも毎日数十人のペースで新たに若者らが拘束され続けている。
政治犯と言っても、十数年にわたり自宅軟禁にありながら民主化運動た続けたアウンサンスーチー氏や韓国の金大中氏のような筋金入りの民主活動家は、今回のクーデターで拘束された人の中にそれほど多くない。ほとんどは、これまで政治にかかわったことのない学生ら若者で、クーデターが起きた後に、国軍支配のもとで一生暮らすのは嫌だと声をあげた人たちだ。
テインダンさんも元から政治への意識が高かったわけではなく、母国の惨状を目にして行動せざるを得なかっただけなのだ。また、抗議活動すらしていない無関係の市民が拘束されたという報告も多い。
例年4月中旬のビルマ暦の元日(今年は17日)前後には、大規模な恩赦が行われる。国軍が仏教の教えに従い、悪人であっても恩赦を与える慈悲深い善政を行っていることをアピールする茶番劇だ。
収監中の政治犯は元々捕まる理由のない人ばかりで、釈放したからといっても慈悲深いわけでも、感謝するべきでもない。ただ、テインダンさんやハンターネインさんら私の友人を含め、不当に拘束された全員が釈放され、早く家族とともに普通の生活を送れるように願うばかりだ。(続く 3へ)
北角裕樹(きたずみ・ゆうき)
ジャーナリスト、映像作家。1975年東京都生まれ。日本経済新聞記者や大阪市立中学校校長を経て、2014年にミャンマーに移住して取材を始める。短編コメディ映画『一杯のモヒンガー』監督。クーデター後の2021年4月に軍と警察の混成部隊に拘束され、一か月間収監。5月に帰国した。
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