かつてロジさんが暮らしていたシリア、アレッポの町。写真は戦闘で破壊された住宅地。(写真:2016年・ロジさん撮影)

◆大学めざしウクライナに渡ったが......

ロジさんは家族を北東部の避難民キャンプに残して、その後、イラクへ渡り、ウクライナの労働ビザを取得。昨年4月、首都キーウに到着すると、貿易会社に職を見つけ、働き始めた。

ウクライナ人は気さくで、たくさんの友人ができた。シリア内戦の影響で中断した大学の勉強を続けたいと、キーウでの進学を目指し、語学学校にも通った。ロシア軍がウクライナに侵攻したのは、そのわずか10カ月後、今年の2月24日のことだ。

戦火は破壊をもたらし、たくさんの避難民を生み出す。写真は、記者としてアフリンから逃れてきた人たちが身を寄せる避難民キャンプを取材した当時のロジさん。(写真:2016年・ロジさん提供)

◆「避難民、子どもの犠牲、シリアに重なって映る」

西側主要国はロシアによるウクライナ侵攻を強く非難し、即座に経済制裁や資産差し押さえなどの措置を実施した。ロシアの暴挙は決して許されないし、この戦争を引き起こしたプーチン大統領はその責任を問われるべきだ。

今、多くの人びとが、ウクライナと苦境にある国民に心を寄せている。一方、戦争で日々、命が失われているのはウクライナだけではない。

ミャンマーの軍政下で弾圧される市民、アフリカ各地での地域紛争、そしてシリアでの長きにわたる内戦。命の重さは同じはずだ。過酷な状況に直面する人びとの境遇に、どれほど思いや悲しみが寄せられているだろうか。

2022年2月のロシア軍侵攻前のウクライナ。ロジさんはキーウからポーランド経由でドイツにいる親戚のもとに逃れた。(地図:アジアプレス)

ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まると、国外に脱出する市民があいついだ。ロジさんはリュックひとつで乗り合いタクシーに乗り込み、30時間かけて隣国ポーランドを目指した。そこから、1週間かけてドイツの親戚の家にたどり着いた。だが安堵の気持ちになれないという。

「逃げ惑う避難民、戦闘の犠牲になる子ども……。自分にはすべてがシリアに重なって映ります」

キーウ郊外ブチャの民家と、破壊されたロシア軍の車両。(写真:2022年4月5日・綿井健陽撮影)

(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2022年4月19日付記事に加筆したものです)

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