◆「目の前で次々と息絶えた」
爆撃があった日、別の病院のオマール・ナセル医師(42)は、救護にあたった。搬送されてきた住民は、いずれも外傷はなかったが、深刻な呼吸困難に陥っていた。化学物質によるものだと直感し、すぐに被害者の体を洗い、酸素を吸入させた。
「苦しみもだえる人たちが、目の前で次々と息絶えていった」と話す。死者の半数以上は女性と子どもだった。
◆後遺症に苦しみ続ける
その後、国連の調査委員会は「シリア空軍機がハーンシェイフンで、サリンを含む爆弾を投下した」とする報告書を発表。町は反体制派武装組織の拠点だったため、政府軍の攻撃対象になったとみられる。一方、シリア政府は化学兵器使用を否定している。
のちにハーンシェイフンは政府軍が制圧。調査委員会で証言したアブドルハミドさんは政府軍の報復を恐れ、北部へ脱出した。他の住民もばらばらになり、後遺症の調査も十分にはなされていない。アブドルハミドさんは、今も足のしびれや嗅覚障害の後遺症に苦しむ。
1988年には、イラク北東部のハラブジャで、フセイン政権(当時)が化学兵器を使用し、5000人の住民が犠牲となった。それから15年以上たって、私は現地をたびたび訪れ、被害実態を取材したが、多くの人が呼吸器疾患などの後遺症を抱えていた。
◆徹底した責任追及がなされなかったことがウクライナにもつながる
ウクライナでロシア軍による化学兵器使用の可能性が現実味をもって報じられつつあるなか、国際社会はどう向き合うべきか。
「シリアで化学兵器が使われた際、その使用を命じた者、実行した者の責任が徹底して追及されぬままでした。それが今のウクライナにつながっています。あの悲劇が繰り返されてはなりません」
オマール医師は、力を込めて言った。
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2022年5月17日付記事に加筆したものです)
1 2