2022年6月19日、南米コロンビア史上初めて、左派候補のグスタボ・ペトロ氏が大統領選で勝利した。2016年に、当時最大の反政府ゲリラ・コロンビア革命軍(FARC)との和平交渉により大統領のマヌエル・サントス氏がノーベル平和賞を受賞してから6年が経つ。国内では期待された「和平」への道筋は挫折し、再び農村が紛争に飲み込まれている。現在最も大きな被害を受ける地域の一つであり、ペトロ氏が圧勝したナリーニョ県を訪ね、選挙結果の背景を追った。(文・写真 柴田大輔)
◆「ペトロ氏は最後の希望」 再びゲリラに支配される農村
谷を見下ろす丘の上に、赤と黒に二分された大旗がはためいている。中央には「ELN」の文字。コロンビアに90余あるとされる非合法武装組織の一つで左翼の「民族解放軍」の略称だ。
大統領選挙を間近に控える6月、コロンビア南西部ナリーニョ県リカウルテ市の山岳地帯を訪ねると、集落へ続く道の入り口に立てられていたのがこの旗だった。住民によると、今年に入りELNが立てたもので、彼らは住民にこう話したという。
「この国を変えていくため我々の活動に協力してほしい。今後、住民以外の人の出入りは我々に報告すること。軍、警察での勤務経験がある住民はここで暮らすことはできない。出て行くこと」
政府とつながる人物や、その危険のある人物が地域から排除されることとなったのだ。彼らの意に反すれば殺害されることもあるという。街で出会ったある女性は「私の孫は元警察官。私たちはもうこの村で暮らすことはできなくなった」と声を落とす。外国人ジャーナリストである私の到着は、彼らの協力者を通じて事前にELNへ報告されていたが、ゲリラ部隊は地域外に移動しており接触することはなかった。
この状況に、地元の学校で教鞭を取るヘンリ・レベロさんが憤る。
「まるで昔に戻ったようです。結局、この土地で『和平』なんて言葉だけだったことがよくわかりますよね?」
◆ゲリラから議員、市長に転じたペトロ候補
大統領選挙が翌週に迫っていた。第一回投票で、左派のグスタボ・ペトロ氏がトップで決選投票に臨もうとしていた。彼は元左翼ゲリラであり、武装解除後、国会議員を経て首都ボゴタ市長を務めた政治家だ。
これまでコロンビアで左派が政権を担ったことは一度もなかった。19世紀の独立以来、社会を支配してきた層がその後も国の政治・経済を握ってきたことで、大土地所有制など植民地時代からの社会格差が引き継がれ、社会の末端に置かれた市民の政治参加は阻害されてきた。こうした社会構造が反政府ゲリラの興隆を招くという、現在に至る紛争の要因の一つとなってきた。
「ペトロは私たちにとって最後の希望です。これまでの政府は戦争を終わらせることは一度もできなかった。それどころか彼らは私たちをゲリラと同一視し、『敵』と見做して銃弾を打ち込んだ。もしペトロが負ければ、またここで多くの人が死に、土地を追われることになる」。ヘンリさんは危機感を募らせていた。