◆ガーリー氏はポリサリオ戦線の創設メンバー

西サハラのスマーラに生まれたブラーヒーム・ガーリー氏は、1973年に結成されたポリサリオ戦線の創設メンバーだ。現在 73歳。モロッコとの戦闘では主要な役割を担ってきた。その後、アルジェリア大使を経て、2016年、前大統領の死去に伴い大統領となった。

ポリサリオ戦線創設メンバーの顔ぶれ。中段右から3番目がガーリー氏(2023年撮影:岩崎有一)

4年に1度開かれるポリサリオ戦線党大会では、ポリサリオ戦線書記長を決める選挙が行われる。この選挙には、サハラーウィ難民キャンプからだけでなく、占領地の各地域代表者も参加。できるかぎりサハラーウィの総意が反映されるように考えられている。

党大会に参加した占領地の地域代表たち(2019年撮影:岩崎有一)

内閣、司法部、国民評議会からなるRASDは、ポリサリオ戦線と表裏一体の組織だ。党大会で選出されたポリサリオ戦線の書記長は、自動的にRASDの大統領となる。2019年12月の党大会で立候補・選出されたガーリー氏は2023年2月の選挙に立候補しない意思を表明していたが、同氏を推す声は多く、再度の立候補と再任に至った。

解放区のチーファーリーチーで開催された党大会にて。選挙後は宣誓式が続く。女性の閣僚も一般的だ(2019年撮影:岩崎有一)

支援国からの援助に頼らざるを得ない財政は厳しいが、国連やアフリカ連合、各国の支援事務所を通じたRASDの外交活動は活発に行われている。2019年開催のTICAD7(アフリカ開発会議)では、RASD代表団の初来日が実現した。

西サハラ全図(作図:岩崎有一)

(筆者注1)
1991年、サハラーウィの独立解放組織であるポリサリオ戦線とモロッコは、西サハラの帰属を住民投票で決めるとする国連和平案を受け入れ、停戦に至った。しかし、住民投票は未だ実施されず、モロッコは西サハラの軍事占領を続けている。
(筆者注2)
ここでのパートナーシップとは、アフリカ開発会議(TICAD)を指したものだ。TICADは日本とアフリカ連合(AU)の共催による国際会議であり、AU加盟国のRASDには、TICADに参加する権利がある。
2019年に横浜で開催されたTICAD7では、河野外相(当時)が閣僚事前準備会合で「日本が国家承認していない主体の(中略)TICAD7への参加は、日本の立場に影響を与えるものではない」と述べ、RASDとは向き合わない姿勢をあえて会場内で示した。また、2022年開催のTICAD8では、日本政府はRASDに招待状を送らなかったが、アフリカ連合委員会(AUC)がRASDに招待状を送ったことで、RASD代表団はTICAD8に参加することができている。
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(筆者注3)
西サハラには、水産物、鉱物、農産物、自然エネルギー、観光といった資源がある。これら西サハラの資源はモロッコが採取・輸出し、各国で消費されてきた。日本では特に、西サハラのタコなどの水産資源と鉱物資源の輸入と消費が続いている。
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アフリカ最後の植民地、西サハラを行く・・・ 岩崎有一 

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