<ミャンマー現地報告>内戦が深刻化するミャンマー・カレン解放区(1)タイ国境の街から解放区内へ
国軍と少数民族武装勢力「カレン民族解放軍」(KNLA)との戦闘が続くミャンマー南東部のカレン解放区。クーデター後の2年間で、約8000回の戦闘が起き、7000人近い国軍兵士が死亡した。KNLA側の捕虜になった者も少なくない。地上戦で劣勢状態にある国軍は、空爆による攻撃を強めている。解放区の内側で生きる人びとの姿を伝える。(赤津陽治)
◆捕虜となった国軍軍人たち
捕虜となった国軍兵士たちが暮らしているという場所を訪れると、およそ15人が川沿いの土地で暮らしていた。全員、手錠や足枷をつけられることもなく、豚やアヒルを飼い、インゲン豆やパパイヤなどの野菜を栽培しながら共同生活を送っていた。
昨年5月にタイ国境近くのテーボーボー基地で捕虜になったティントゥン軍曹(55)は、国軍第32歩兵大隊に所属し、基地の守備に当たっていた。
5月19日、KNLAと人民防衛軍(PDF)の合同部隊であるコブラ縦隊の攻撃を受け、基地は陥落。副大隊長を含む7人が死亡、11人がタイ側へ逃げ込み、7人が拘束されて捕虜になった。
ティントゥン軍曹はマンダレー管区出身。幼くして両親を亡くし、親戚の元で育った。自分の居場所がないという感覚を常に抱いていた。そうした疎外感から、33年前、自ら国軍の扉を叩き、入隊した。
クーデターが起きたとき、タイ国境パヤートンズーに近い、別の基地にいた。その後、大隊本部に戻ったとき、「選挙で不正があったため、軍が全権を“確保”した」と聞き、クーデターがあったことを初めて知った。
2020年11月の選挙のときは前線にいたため、自身では投票しなかった。所属する大隊本部の大尉から「代わりに投票しておいた」と聞かされた。大尉は全隊員の給料を扱うため、個人情報を把握している。その情報を元に本人に代わって投票したという。
「投票の不正があったと軍は非難しているが、実際に不正を働いたのは、軍の方だった」
33年間国軍の中で生きてきた彼が、自嘲気味にそう話した。
◆国軍軍人の生活
国軍第275歩兵大隊のソーパイン伍長(49)は、2021年12月にカレン解放区内のレイケーコーで拘束された。
レイケーコーは、難民が帰還して再定住していけるよう、2016年から日本の援助(約64億円)で造成された新しい町だった。日本財団が建設した住居には、クーデター後、多くの政治家や活動家が拘束の危険から避難して身を寄せていた。KNLA第6旅団地域内にあり、国軍側が自由に手出しできない場所だった。
しかし、2021年12月に国軍部隊が侵入し、国民民主連盟(NLD)議員らを拘束して連行した。
それをきっかけにKNLA第6旅団と国軍との間で戦闘が勃発。12月15日と16日の戦闘で、国軍側は18人が死亡し、8人が拘束された。
ソーパイン伍長は、国軍兵士の遺体回収の命令を受け、町に一般車で入ろうとしたところをKNLAに止められ、捕虜となった。
大隊では、おもに給料の支給を担当していた。兵士の給料は、軍曹で23万チャット(現在の実勢レートで約1万800円)、伍長で21万3000チャット(約1万円)、兵卒で16万チャット(約7500円)。他に米や油、塩などが現物支給される。
一方で、軍人の福利厚生という名目で、国軍系企業「ミャンマー・エコノミック・ホールディングス・リミテッド」(MEHL)への出資金が天引きされる。独身の場合は月2万チャット(約940円)、既婚の場合は月1万チャット(約470円)が自動的に引かれる。
他にも、MEHLの系列会社が製造した服を購入させられる。軍の新聞を強制的に購読させられる。軍管理下の銀行に預金させられる。別の国軍系企業であるミャンマー経済公社(MEC)傘下の保険会社の生命保険に加入させられる。
自由に使える金は少なく、スマートフォンでインターネットも使わないという。捕虜たちは、口々に「外出することも許されず、基地の外のことは何も知らなかった」と言った。
そして、「国軍にはもう戻らない」と口を揃えた。武器弾薬が尽きる前に捕虜になった者は、禁錮15年の刑に処されるからだという。