<ミャンマー現地報告>内戦が深刻化するミャンマー・カレン解放区(1)タイ国境の街から解放区内へ

クーデターに非暴力で抵抗した人びとは、軍の弾圧が強まるにつれ、都市から国境の解放区をめざした。少数民族武装組織カレン民族同盟(KNU)は、実効支配するカレン解放区にそうした人たちを多く受け入れた。若者たちは軍事訓練を受け、義勇兵として武装闘争に参加。医師たちは戦闘で傷ついた人びとの治療にあたる。内戦が深刻化するミャンマー・カレン解放区で生きる人びとの姿を伝える。(赤津陽治

ピィダウンティッ国内避難民キャンプ内の防空壕。元空軍軍人の指導でキャンプ内の3か所に設けられていた。

◆都市から逃れてきた人びとが暮らすキャンプ

ヤンゴンやマンダレーなどの都市から逃れてきた約70人が暮らす「ピィダウンティッ国内避難民キャンプ」を訪れると、土のうで覆われた重厚な防空壕が、キャンプ内の3カ所に設けられていた。空軍を離脱した元国軍軍人の指導で造ったという。

階段を降りて中に入ると、1.8メートルほどの高さがあり、天蓋は太い丸太で隙間なく覆われていた。床には竹で編まれたものが敷き詰められ、蚊帳が張られていた。

戦闘機やヘリコプターが飛来してくるたびに、防空壕に駆け込まなければならないため、子どもや老人たちは、夜になると、防空壕で眠るのが日課になっている。

◆キャンプに逃れたNLD議員

NLD党員でヤンゴン管区議会議員のヌウェヌウェウィンさん。ヤンゴン脱出後、自宅を軍政当局に接収された。NLDの集計では、NLD議員88人が現在も収監されている。拘束を免れたものの、潜伏中に十分な治療を受けられずに病死した議員が15人いるという。

「ひと晩じゅう、戦闘機が旋回し、砲弾の音が鳴り止まない夜もあります。それでも、ヤンゴンにいるときと比べれば、ここの方がずっと安心して眠れます」

国民民主連盟(NLD)党員でヤンゴン管区議会の議員だったヌウェヌウェウィンさん(47)は、そう言ってほほ笑んだ。

クーデター後、多くのNLD議員と同様に潜伏生活を送っていた。いつ捕まるか分からない不安な日々を送りながら、2021年5月頃、ヤンゴンを脱出。カレン州のパヤートンズーに逃れたのち、2022年8月からこのキャンプに移って暮らしている。

軍政当局は、何度もヤンゴンの自宅や母親の家に捜しに来た。2022年3月、自宅を軍政当局に差し押さえられたことを知った。

「この土地と建物は、テロ勢力と関係があるため、国有化する。立ち入りを禁止し、売買を禁止する」

自宅正面には、そうした内容が印字されたビニールシートが貼り出された。

NLDの調べによると、クーデター後、全国でNLD議員・党員ら849人の自宅や建物971カ所が軍事政権に差し押さえられた。

◆ヤンゴン出身のPDF夫婦

キャンプには、さまざまな人たちが暮らしていた。

人民防衛軍(PDF)兵士のウェーヤンテッさん(25)は、前線から休暇で戻ってきたところだった。キャンプには、妻(35)と生後7カ月の息子が暮らす。

クーデター後、妻とヤンゴン市で抗議デモに参加した。当局がデモ鎮圧のために実弾を使うようになっても、プラカードを盾に持ち替えて、抗議活動を続けた。

しかし、2021年5月、拘束を恐れ、2人でレイケーコーに逃れた。その後、3カ月の軍事訓練を受け、PDFのひとつである白竜縦隊で活動するようになった。

「たとえ戦死したとしても後悔はしないです。自分の祖国のために死ぬならば、本望です。ただ、この革命が終わって、生きていれば、普通に働いて、普通に家族で暮らしたいです」

妻のひざの上であどけない表情を振りまく息子のそばで、そう話した。

診療所の手術室を無菌状態に保つため、入室時には手術衣に着替える。クーデターに抗議してCDM(市民的不服従運動)に参加した国立病院出身の医師たちが、地域の救急医療を担う。

◆救急医療を担うCDM参加の医師たち

キャンプ近くの診療所では、外科医2人と麻酔医1人が診療にあたっていた。3人とも国立病院に勤務していた医師で、クーデター後、市民的不服従運動(CDM)に参加し、ヤンゴンなどの都市から解放区に逃れてきた。

外科医のナイト医師(34)が中心となり、診療所内に手術室を設置していた。月に約360人の外来患者を診ながら、大がかりな手術を毎月10件ほど行なう。

戦闘で負傷し、診療所で治療を受けた青年。医療施設が空爆の対象になっており、診療所の名称や場所を明かさないよう、要請された。解放区には、治安上の理由から公表されていない事実が少なくない。

訪問したとき、砲弾の破片が背中に突き刺さって担ぎ込まれた青年が入院していた。太い血管の近くに破片があるため、摘出はできなかったものの、救急措置を施し、命の危険は脱した。

以前はタイ側の病院に運ぶしかなかった外科治療をここで担っており、周辺地域の救急医療にとって重要な役割を担っている。

一方で、民間人と兵士を区別することなく、治療にあたっているため、国軍側から空爆や砲撃の標的にされる危険がある。ことし4月だけでも全国で4カ所の医療施設が国軍の空爆を受け、破壊されている。

タイ国境から離れており、予算も限られているため、医薬品が不足している。NGOの支援だけでは足りず、自分たちで資金を工面して、麻酔薬や医療器具を入手している状況だ。携帯電話などの通信環境が悪いという問題もある。

それでも、さらに能力を向上させ、患者をタイ側の病院に転送しなくても救えるようにしたい。かつてヤンゴンで日本のJICAの研修を受けたときのように、日本の医師の指導を遠隔研修で受けられないだろうかと相談を受けた。特に内視鏡の技術について学びたいという。

「仕事をしたくないから、CDMに参加したわけではないのです。それをこの場所で証明していくつもりです」。

そう語るナイト医師の目には、強い意志がみなぎっていた。

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