露天食堂の前を徘徊する飢えた男児たち。1998年10月元山で撮影アン・チョル

■食料品店前で餓死した人の存在

飢饉の研究で1998年にノーベル経済学賞を受賞したインドの経済学者アマルティア・セン(Amartya Sen)は、祖国で1940年代に発生したベンガル飢饉の際、食料が大量に保管されている食料品店の前で飢えて死ぬ人の存在を指摘し、食料の供給量と飢えに苦しむ人の発生は直接関係がなく、飢餓とは充分な食料を手に入れるだけの能力や資格が損なわれた「剥奪状態」であると説いた。
1990年代後半、北朝鮮を覆った大飢饉の取材を続けていた私は、センの著書「貧困と飢饉」を読んで目からうろこが落ちた。北朝鮮国内で隠し撮りされた映像には、闇市のコメ売り場や露天食堂の前で、瘦せこけた子供たちが拾い食いするシーンが映っていた。

私自身、1998年3~4月に咸鏡北道を3週間余り訪れた際、同じような光景を目撃した。ジャンマダンに度々行く機会があったのだが、何百人もの女性たちが穀物や餅、パン、ソバを売っている周りには物乞いする子供たちが群れていた。目の前には食べ物がある。しかし、コチェビの子供たちはそれにアクセスすることができないのであった。

それから25年後の今、北朝鮮でまた餓死する人が出ている。誰が、なぜ飢えているのだろうか?

目の前にある食品を買えなくて拾い食いする少女。1998年10月に元山で撮影アン・チョル(アジアプレス)

■コロナで広がった北朝鮮の死角

2020年1月、中国発のコロナパンデミックが始まると、金正恩政権は電撃的に国境を封鎖し、人とモノの出入りを遮断した。国際郵便もウイルス付着を恐れて止めてしまい、このコラムを書いている時点で、葉書一枚送れない状態が続いている。

中国に出国してくる人、脱北者はほぼ皆無。朝鮮総連の機関誌・朝鮮新報の記者でさえ2020年に撤収した後、交代要員が今も入国できていない。パンデミックを機に北朝鮮の死角はどんどん広がってしまった。

私は20年前から北朝鮮の住民と共に国内情勢を取材している。通信には搬入してある中国の携帯電話を使っている。現在連絡を取り合えている協力者は6名だ。以下の内容は、彼・彼女たちからの報告を精査したものだ。

パンデミックが発生した2020年の秋には、収穫の終わった農村に落穂拾いに出かけたり、農家で物乞いをしたりする都市住民の姿が各地で見られるようになった。翌2021年の夏頃から、取材強力者の周囲で栄養失調や病気で死亡する人が出始めた。訪ねると親戚が家の中で死んだという協力者もいた。真っ先に窮地に陥ったのは老人世帯や母子家庭などの脆弱層だった。センの言う「剥奪状態」は、北朝鮮でいかにして発生したのだろうか?

★新着記事