モロッコによる占領地の扱いは、「当地はモロッコ領である」との建前のもとに立つ。西サハラと呼ばれることはなく、単に“南部モロッコ”または“サハラ”と呼ばれていた。(岩崎有一)

西サハラの最大都市エル・アイウン中心部。モロッコ国旗が並び、国王の肖像画が掲げられていた。(2018年筆者撮影)

◆占領地は“国内”扱い

西サハラの占領地を訪ねることは、たやすい。例えば、モロッコ南西部の港町アガディールから毎日運行する長距離バスに乗れば、寝ている間に西サハラの主要都市までたどり着く。西サハラ・モロッコ間の国境は素通りし、入出国スタンプが押されることもない。モーリタニア方面の入出国時には、ゲルゲラートでモロッコの審査を受けることとなる。「我々の国境の南端はここ」、というわけだ。

モロッコ南端にある国境の街、ター。入出国印が押されるべき場所だが、検問所すらない。(2018年筆者撮影)

航路もある。ロイヤル・エア・モロッコがカサブランカからエル・アイウンとダーフラに就航。いずれも“国内便”扱いとなっている。

占領地を訪ねるために、なにか許可証を取得する必要はない。占領地の街を訪ねる要領は、マラケシュやアガディールなど、モロッコの街を訪ねることと変わりはない。

西サハラ全図(筆者作成)

◆モロッコにしか見えない街並み

ひとたび占領地内の街に入れば、モロッコとなんら変わらない風景が広がる。カフェオレやミントティーを楽しむ人々で賑わうカフェ、赤と白のツートンカラーのタクシー、交通整理をするグレーの制服を着た警官、ミントと生肉の匂いがただよう市場、流れるアザーン、店内に掲げられた国王の肖像画、そして、中央分離帯にひしめくモロッコ旗……。西サハラ問題の存在を知らなければ、ここはモロッコにしか見えない。

占領地の最大都市、エル・アイウン中心部(2018年筆者撮影)

1995年から2003年にかけて、私は占領地を3度訪れている。当時はどこにも寂しさを感じた。宿泊施設は数えるほどしかなく、たまに見かける外国人は、モロッコ・モーリタニア間を移動する旅行者か、国連関係者ぐらいだった。

エル・アイウンの夜(2003年筆者撮影)

2018年に再び訪ねると、街は激変していた。集合住宅の新規建設を示す看板があちこちに立つ。朝夕には渋滞が発生。様々なビジネスに関わる外国人と、新しい仕事と機会を求めてやってきたモロッコ人入植者で、街は溢れるようになった。

占領地ダーフラ中心部。夜になっても、賑わいは絶えない。1995年当時、私の知る限りでは、この街にパン屋は2軒、宿泊所も2軒しかなかった(2018年筆者撮影)

「カサブランカに暮らしていましたが、父がここで仕事を始めることになり、家族で引っ越してきました。カサブランカよりも治安が良く、夜の一人歩きも怖くありません。私はここのほうが好きです」

占領地に新しく建ったホテルの受付で働くモロッコ人女性は、こう話す。

占領地のブージドゥールの広場に繰り出す人々。1995年当時は、小さな村のようなところだった。(2018年筆者撮影)

また、モロッコ本国と比べ、占領地には様々な優遇策があるとも聞いた。
ガソリンには軽減税率が設定されているため本国よりも少し安く、学校の教員など公務員の給与は本国よりも少し高い。就業機会のあっせんや、住宅補助も行われている。このようにして、現在も入植は国策として促されている。

占領地のダーフラ。新興住宅街が延々と続く。さらなる造成も進行中だった。(2018年筆者撮影)

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