銃を携行して鴨緑江沿いを巡回する兵士。2023年10月に中国から撮影アジアプレス

連載の一回目
<特集>コロナ鎖国の4年間に北朝鮮で何が起こっていたか(1) 死角で発生していた混乱と人の死

◆脱北はほぼ不可能 

脱北の時代は、終わった――。

この数年の状況を見て、そう強く感じている。中国との国境である豆満江、鴨緑江約1400キロのほぼ全域が、幾重もの鉄条網に覆われてしまった。「ウイルス侵襲阻止」を口実に、軍隊と住民を動員して有刺鉄線と警備哨所の増強工事が数年にわたって行われた。電流を流す設備も増設された。

2020年8月、国境河川近くのエリアを緩衝地帯に定め、無断で接近する者は警告なしで射撃するという社会安全省(警察)名義の布告が駅や公共の場所に張り出された。それをパートナーの一人が剥がして持ち帰って撮影しメールで送ってきた。

布告文には、国境の緩衝地帯に入る人と家畜は無条件、予告なく射撃すると記されてあった。

「コロナ前に無理をしてでも韓国に逃げたらよかった。もう不可能だ。決断しなかったことを一生後悔するでしょう」

中学生の娘と暮らすシングルマザーのパートナーは、こう嘆いた。

入手した布告文。タイトルは「北部国境封鎖作戦を阻害する行為をしてはならない」。2020年8月末、写真アジアプレス
布告文には「鴨緑江、豆満江の我が川岸に侵入した対象と家畜は予告なしに射撃する」とあった。2020年8月末、写真アジアプレス

金正恩政権が中国との国境警備を厳重にした理由は、脱北や密輸の阻止だけではない。00年代半ばから、韓流ドラマを筆頭に、映画や音楽などの韓国情報が北朝鮮国内で大流行したが、そのほとんどは中国国境から流入したものだ。

中国の携帯電話が大量に密搬入され、韓国や日本から北朝鮮国内と通信することが可能になった。脱北者たちは家族に闇送金もできるようになった。中国との国境は人、モノ、金、情報が行き交う通路になった。閉鎖が存立条件である北朝鮮の体制にとっては、由々しき事態がずっと続いていたのだ。

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◆韓国入りする脱北者は激減

韓国入りする脱北者のピークは09年の2914人だ。金正恩が執権した12年から警備が強化され大幅に減ったものの、19年までは1000人台が続いていた。それが20年は229人、21年は63人、22年は67人、23年は196人に落ち込んだ(韓国統一部統計)。しかも、この数年間に入国したのは、中国やロシアなどで長く滞留した人がほとんどで、パンデミック発生後に北朝鮮を脱出したケースはごく稀である。

韓国の研究者やNGO関係者によると、パンデミック発生以降に北朝鮮を離れた脱北者で面接できたのは、20年の1人、21年の2人、23年の数人だけだったそうだ。新規入国者からの聞き取りによって情報更新し、韓国の北朝鮮研究は分厚くなったのだが、コロナ後はそれが困難になったと嘆いていた。

川べりに有刺鉄線が幾重にも張られている。後の畑は緩衝地帯だろう。2020年以降、農作業で立ち入る際にも許可が必要になった。2023年9月下旬に平安北道の朔州郡を中国側から撮影アジアプレス
国境警備隊の哨所付近の設備に説明を付した。すぐ下を鴨緑江が流れている。2023年9月下旬に平安北道の朔州郡を中国側から撮影アジアプレス

 

◆心焦がす在日家族と脱北者たち

現在、大阪と首都圏に約200人の脱北者が暮らしている。59年から84年まで続いた帰国事業では、在日朝鮮人とその日本人家族合わせて9万3000人余りが北朝鮮に渡ったが、この帰国者と北朝鮮生まれの2世、3世たちが日本に戻ってきているのだ。

彼らは在日親族を装って、息子・娘・親兄弟と手紙のやり取りをし、現金や荷物を送ってきた。日本からは保険付き郵便で現金を1回10万円まで安全に送金できる。経済制裁のため、ぜいたく品がないか税関で細かくチェックされるが、荷物も送ることができる。それらもコロナで止まった。

2020年の後半から、筆者の元に問い合わせが何件も寄せられるようになった。「安否確認をしてもらえないか」「非正規ルートで送金できないか」というのだ。パートナーたちに北朝鮮の国内電話を使って調べることはできないか打診すると、全員に断られた。「なんの縁故もない帰国者の家に連絡するなんて、すすんで保衛局(秘密警察)の視野に収まろうとするようなものだ」という。国内電話は盗聴されているのが前提だからだ。

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豆満江沿いの中国側もほぼ全域が有刺鉄線で厳重に覆われている。吉林省の龍井市で2023年8月下旬に撮影アジアプレス

関西のある県に住む80歳を超える「在日」女性Aさんは、両親と姉弟妹七人全員が60~70年代に北朝鮮に帰国、以来60年間仕送りを続けてきた。爪に火をともすような節約生活を続けてのことだ。ところがコロナ禍で手紙の返信が止まった。

「妹弟たちは亡くなっているかもしれません。これが肉親と縁が切れる瞬間になると覚悟しています」とAさんは言い、肉親から受け取った数百の手紙と写真を「資料に使ってください」と提供してくれた。

数冊のアルバムには、日本で共に暮らした頃のものや、北部の都市で老境に入った妹弟たちの写真がきれいに整理されていた。Aさんが大切な写真を手放すことを決めたのは絆の断絶を覚悟してのことだ。コロナごときで大切な人と繋がっていた細い糸まで断ち切られていいのか、と思わずにいられなかった。(続く 3 >>>

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北朝鮮地図 製作アジアプレス

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