◆底知れぬ恐怖と人間の罪深さ
そして最後のシーンで突如、現代に引き戻される。ホロコーストの悲劇を伝える「記念館」となった現在の収容所が映し出され、展示室を清掃員の女性たちが黙々と掃除する。今日もやってくる来館者のために、フロアに掃除機をかけ、ウインドーを拭く。ウィンドーが隔てる先にあるのは積み上げられたユダヤ人の靴や遺品の数々。それは人間の無関心が招いた結果もたらされたものであり、拭いても消し去れない歴史の事実を示す。さらに、鋭い問いかけにもなっている。
「では、この映画を観ている、あなたはどうなのか」
そのとき気づかされるこれは過去に起きたナチスの狂気で片づけられることなのか。世界でいま戦争や虐殺がすぐ隣で起きているのに、無関心のまま、いや、あえて無関心を装い、普通に日常を送る私たちの姿を問う映画なのだと。「あなたもこの家族と同じではないか」。多くの人は、そこに罪深さに満ちた底知れぬ恐怖を感じるだろう。
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◆『関心領域』とウクライナ
ヘートヴィヒが邸宅での生活を自分の「生存圏」と表現するシーンがある。ナチスは「ドイツ民族の生存圏獲得」を名目にポーランド、ソ連へと侵攻していった。熾烈な独ソ戦の場のひとつがウクライナだった。収容所や移送の途中で多数のユダヤ人が虐殺された。私は、ウクライナでホロコーストを生き抜いたユダヤ人たちの取材を続けてきた。いずれも80代を超える高齢だが、幼い頃に起きた悲劇を覚えている。そのひとり、ローマン・シュヴァルツマンさんは、オデーサのホロコーストの犠牲者を追悼する慰霊碑の前で、戦争と差別のなかで人間としての良心を持つことがいかに大切か、またいかに難しいかを語ってくれた。
◆『関心領域』の問いかけと、いま起きている戦争
『関心領域』が突きつけるものは、いまウクライナやパレスチナで起きていることにつながる。 今年2月、ウクライナ北部ハルキウで出会った40代の女性は、ロシア軍の侵攻後、勤めていた靴メーカーの社員を辞め、医療支援団体のスタッフになった。ミサイル攻撃や砲撃で毎日、病院に運ばれてくる市民の負傷者を目にしてきた。彼女は言った。
「なぜ世界の人たちは、ウクライナで起きている悲劇を知ってくれないのか、怒りを覚えました。でも振り返ってみてわかったのです。シリア内戦が起きたとき、どれだけのウクライナ人がシリア人に同情したでしょうか。私も遠くの出来事と思っていました」
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◆関心を閉ざした先に
ネットがあたりまえになったいま、爆撃される町、泣き叫ぶ子どもの映像は、瞬時に世界に伝わる。だが、各地で起きている戦争に、どれだけの人が関心を払っているだろう。今日、爆弾で亡くなった子どものことを、どれだけの人が自分の家族のこととして心を痛めているだろう。
人間が本来むけるべき関心とは。関心を失ったとき、関心を自ら閉ざしたとき、その先にあるものは何なのか。『関心領域』の問いかけは深く、鋭く、そして重い。
◆映画『関心領域』は現在公開中
『関心領域 The Zone of Interest』オフィシャルサイト
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