8月23日、東京で開催された国際会議の場で、暴力沙汰があった。第9回アフリカ開発会議(TICAD9)閣僚会合の事前会合でのできごとだ。(岩崎有一)

◆国際会議の会場で掴みかかったモロッコ

「モロッコが私たちに対して、肉体的な喧嘩をしかけてきました。会議に参加する皆の目の前で」

8月23日、TICAD9閣僚会合の準備にあたる高級実務者会合に出席していたサハラ・アラブ民主共和国(SADR)のアフリカ連合(AU)担当大使から、筆者にメッセージが届いた。

この場に居合わせた参加者が撮影した映像は、ほどなくSNS上で拡散された。
映像では、アフリカ各国から外務大臣やAU担当大使らが参加する会議場で、1人の人物がSADRの国名プレートを奪おうと突進し、プレートを抱えて避けたSADRのラミン・バーリAU担当大使に掴みかかっている。近くに居合わせた男性がこれを取り押さえた。ラミン大使によると、攻撃してきた人物はAU本部のあるエチオピアから来たモロッコ代表団の1人であり、取り押さえた男性はアルジェリア本国からの代表団の1人とのことだ。

一部がしわくちゃになった西サハラ代表のプレート(参加者提供)

SADRとは、アフリカ最後の植民地と呼ばれる西サハラの人々が建国した国だ。
スペインの植民地だった西サハラには、サハラーウィと呼ばれる、モロッコ人とは異なる人々が暮らしてきた。1960年代にアフリカ諸国が次々と独立を遂げたのち、サハラーウィは独立解放を求めるポリサリオ戦線を1973年に結成。1976年にはSADRの樹立を宣言する。一方、1975年以降モロッコは西サハラへ軍事侵攻し、この地域の8割を占領した。1991年、西サハラの帰属は住民投票をもって決めるとする国連和平案をポリサリオ戦線とモロッコ双方が受け入れ、現在に至っている。

モロッコによる軍事侵攻を逃れたサハラーウィの一部は難民となりアルジェリアを目指した。アルジェリアは彼らを受け入れ、同国西部のチンドゥーフに難民キャンプが建設された。以来、このキャンプには今も18万を超えるサハラーウィが暮らしている。

西サハラ全図

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