◆ネット上に見られる誤解の数々

SADRに突進するモロッコ人を取り押さえたのがアルジェリア人だったことから、この騒動を西サハラ問題の縮図として編集した映像が、SNS上にはさっそく出回っている。

かねてから「西サハラをめぐって対立するモロッコとアルジェリアは…」と記されがちだが、そもそも、アルジェリア自らがモロッコと対立姿勢を取ってきたわけではない。モロッコは、一方的に西サハラへ軍事侵攻し、サハラーウィを擁護するアルジェリアを敵視し続けてきた。

「日本が認めていない勢力が勝手に会議場にやってきた」との見立ても、正確ではない。TICADは日本とAUが共催する国際会議だ。AUの前身となるアフリカ統一機構(OAU)に1984年に加盟したSADRは、OAUの創設国の一国であり、現在もAUの加盟国だ。SADRは共催となるAUからの招待状を受け取って、正式にTICADに参加している。勝手に会議場に乗り込んできたわけではない。

TICAD9閣僚会合の会場(2024年筆者撮影)

◆西サハラ無視は中立的な姿勢か?

日本は、SADR無視の姿勢を貫いている。2019年のTICAD7、2022年のTICAD8でも、今回のTICAD9閣僚会合においても、日本はSADRに招待状を出していない。また、これまでに一度も、TICADでSADRに発言の機会が設けられたことはなかった。

さらには、2019年のTICAD7から今回の閣僚会議に至る日本での会議では、「日本が国家として認めていない実体の出席は、日本の立場にいかなる影響も与えるものではない」と、SADRの存在が眼中にないことをわざわざ示すアナウンスが事前に流される。日本の西サハラ無視の姿勢とアピールは、徹底している。会場でも、外務省発表の共同コミュニケでも、日本は「西サハラ」や「SADR」についての言及は皆無だ。

ちなみに2022年のTICAD8はSADRを承認していないチュニジアで開催されたが、チュニジア政府は他の参加国を迎えるのと同様に、レッドカーペットを敷いてSADR大統領を迎えた。同じく2022年にブリュッセルで開催されたEU‐AUサミットでも、SADRは他の国々同様に参加している。

「公にはできずともインフォマール(非公式)なコンタクトはあったりするものだが、日本からはなかった」と、ラミン・バーリ大使は語る。

国際会議の場で国名プレートさえ用意されず、西サハラの代表団は暗黙の意思表示として椅子が置かれた末席に自前のプレートを置き、ただただ沈黙しながらTICADに参加してきた。西サハラを自国領としたいモロッコはこの自前のネームプレートの存在すら気に入らず、今回、腕力で奪おうとしたのだった。

持参したプレートとともに着席するSADR外相(参加者提供)

モロッコは西サハラをモロッコ内の自治領とする解決案を唱えており、アメリカやフランスなど、一部の国はこれを支持している。日本には、このモロッコ案を支持する自由も、西サハラを無視する自由もあろう。しかし、国連を中心とする和平案に則った西サハラ問題解決を支持する姿勢が日本のアフリカ外交の建前だ。ならば、西サハラの帰属は住民投票を持って決めるとする解決案から目を背けることはできない。そして、この住民投票の主体はサハラーウィであり、サハラーウィの代表はポリサリオ戦線かつSADRである。西サハラの人々の存在を無視しながら、我々は中立的な立場で国際社会主導の解決を支持すると謳うことには大きな矛盾が生じる。

23日、高級実務者会合が始まろうとするころ、ある参加者は日本の対応について会場でこう語っていた。

「事前会合でAUが話し合って決めるよう、日本はSADRのTICAD参加の判断をAUに丸投げしている。どのような結果であろうとも、それはAUの判断だったと言うのだろう。日本の外交姿勢は、まるで高みの見物だ」。

結局、SADRの参加はAUから改めて認められ、騒ぎを起こしたモロッコの代表団は会場に留まったまま、TICAD9閣僚会合は幕を閉じた。

日本の対応には落胆したと語るムハンマド・シダチSADR外相(2024年筆者撮影)

次のページ: ◆TICADにおける西サハラ参加問題の原因はどこに... ↓

★新着記事