◆最低レベルで本当に良いのか

8月26日、市教委に国の通知について知らせるとともに、不適正作業をさせる発注になっていることを指摘して対応を尋ねた。市は8日後の9月3日にようやく「分析業者や一般建築物石綿含有建材調査者等と協議、調整の中で、モルタルには、アスベストは含有していないと判断しておりましたが、ご指摘のとおり、混和材の中にアスベストが含まれていた可能性はあります」(学校管理課)と判断の誤りを認め、「工事前に分析調査を行います」(同)と回答した。

市による安全側とは言い難い一連の対応は、石綿対策の知識が圧倒的に不足しており、その場を取り繕う対応に右往左往した結果なのか、あるいは十分な知識を持ち、その程度の対応でごまかせると高をくくっているのか。好意的に受け取れば、前者の知識すらないということだろう。逆に後者であれば、きわめて悪質である。

石綿除去の監視業務などに詳しい専門家に現状を伝えると、「なんで“やらかした”現場でまたいい加減な対応をするんですかね。一度不適正な状況があったからこそ、今度はきちんと対応しないといけないなんて当たり前じゃないですか」と呆れていた。

そして、こんな“予言”をした。

「(除去後の)完了検査は大丈夫ですかね。そういう自治体だと石綿の除去残しがありますよ」

一度“やらかした”にもかかわらず、最低レベルの監視で良いと考える知識不足ないし悪質な自治体では十分あり得るといわざるを得ない。いまのところ監視も最低レベルのままであり、石綿の外部飛散があっても把握すらされないのではないか。完了検査の適正化など、望むべくもないとさえ思えてしまう。筆者はもはや奇跡的に腕の良い除去業者が現場に入って頑張ってくれることを祈りたい気持ちになっている。

不適正事案への対処で必要なのは最低レベルではなく、万全の対策のはずだ。石綿則の義務を無視して危険な吹き付け石綿を20年近く管理もせず放置したあげく、除去工事で外部飛散させ、あるいは完了検査で残存を見逃して、今後も体育館利用で児童らに石綿を吸わせるとしたら罪深い。卒業式で館内に石綿が散乱しているのが把握もされないまま、児童らが石綿にさらされ、数十年後に石綿特有のがん、中皮腫を発症する──。そんな悲劇が起きかねない対策工事は許されない。

 

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