◆労働現場とは「桁違い」だが

ところが結論の3つ目で、「一般環境では石綿に起因する中皮腫および肺がんのリスクを確実に定量化することはできず、おそらく検出できないほど低い。石綿肺のリスクは実質的にゼロである」との判断を示す。

労働現場と比較できないにもかかわらず、なぜ一般環境の発がんリスクは「おそらく検出できないほど低い」との結論になるのか。

その理由は明記されていないが、一言でいえば、労働環境と比べて石綿ばく露が「桁違い」だからだろう。

報告書は石綿ばく露が多い順に、作業員が現場で石綿を取り扱う「職業ばく露」、石綿を取り扱う作業の周辺にいる作業員や取り扱う作業員の家族、工場の近隣住民など「準職業ばく露」、労働現場やその周辺などと違って明らかなばく露のない「一般環境」の3つに分類。中皮腫(肺や心臓などの膜にできるがん)や肺がん、石綿肺などの健康リスクについて、それぞれ検討している。

結論では当然ながら、石綿ばく露がもっとも多い「職業ばく露」のリスクが1番高く、「職業ばく露グループ(に含まれる人びと)においては石綿へのばく露は石綿肺や肺がん、中皮腫を発症させる」(同)などと指摘。次にリスクが高い「準職業ばく露」について、「中皮腫や肺がんのリスクは一般的に職業ばく露グループよりはるかに低い。石綿肺のリスクは非常に低い」などと説明する。

これらは実際にそうした病気を発症し死亡した労働者らの疫学調査に基づく見解だ。「準職業ばく露」で石綿肺のリスクが「非常に低い」のは、高濃度ばく露でないと発症しない病気だからで、職業ばく露よりも石綿ばく露が少ないためだ。

もっとも危険性が高い職業ばく露について、報告書では「粉じん制御が不十分な産業や鉱山では、最大数十万本/リットルになることもあるが、現代の産業では一般に2000本/リットルを大きく下回る」と解説している(原文のf/mlを本/リットルに換算)。報告書は1972~1978年にイギリスの工場で実施された調査を引用し、適切な工学的制御(明記されていないが局所排気装置など)により、「ほとんどの事例(54~86.5%)でばく露レベルは500本/リットルを下回る」(同)と今後対策が進めばさらに濃度が減少するだろうとも指摘している。

一方、一般環境では、職業ばく露や準職業ばく露と違って、ほとんど光学顕微鏡では検出できず、電子顕微鏡でようやく計数できる状況で、ほとんど白石綿という。濃度は空気1リットルあたり0.1本からせいぜい10本程度。ひどい現場では同2000本を超えるという職業ばく露からみれば、ほとんど光学顕微鏡で観察可能な石綿繊維が検出されていないことから比較できないとしても、ばく露が桁違いに低いことは間違いない。そのため、はっきりと定量化はできないものの、中皮腫や肺がんのリスクは「おそらく検出できないほど低い」、高濃度ばく露でないと発生しない石綿肺は「実質的にゼロ」と結論づけたのだと考えられる。

これはあくまで「光学顕微鏡で計数できない石綿繊維」に限定した内容であり、しかも白石綿のばく露が前提であることはすでに説明したとおりである。一方、日本における建物などの改修・解体工事では、危険性のより高いクロシドライト(青石綿)やアモサイト(茶石綿)など角閃石系石綿を含む可能性があることから参照できない。また日本でも空気環境の測定で走査電子顕微鏡(SEM)が使用される場合もあるが、光学顕微鏡で観察可能な大きさの石綿繊維しか計数しないため、「おそらく検出できないほど低い」との結論を適用できない。

改めて行橋市について見てみると、そもそも検出されているのが、白石綿だけでなく茶石綿まである以上、比較対象外だ。本来これ以上検討の必要はないが、一応市の測定をみていこう。

9月の市議会で体育館内の空気環境測定について聞かれ、市教育委員会の教育部長は「厚生労働省のアスベスト分析マニュアル」に基づいて実施したと答弁。しかし同省の同マニュアルは建材などの試料の分析方法を解説したもので、空気環境測定について記載がない。明らかに環境省の「アスベストモニタリングマニュアル」の間違いだ。分析結果報告書に記載されている程度のことだが、主張の根拠にかかわる部分を間違えるあたりに市の知識不足がうかがえる。

いずれにせよ、環境省マニュアルでも計数対象は「長さ5マイクロメートル以上、幅0.2マイクロメートル以上3マイクロメートル未満、アスペクト(長さと幅の)比3以上」と光学顕微鏡の「位相差顕微鏡法」で観察可能な範囲に限定している。光学顕微鏡で観察不可能な細く短い石綿繊維は計数しないことから、市の主張に反して、WHO報告書の記述を「目安」とすることはできないことになる(そもそも目安ではないが)。

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