◆石綿0.1本でもリスク上昇
冒頭で指摘したもう1つのウソは、市が実際には存在しないのに“引用”した「世界の都市部の一般環境中の石綿濃度は、1リットル当たり1~10本程度であり、この程度であれば健康リスクは検出できないほど低い」とのリスク認識そのものである。
証拠を示そう。1988年のアメリカ環境保護庁(EPA)によるリスク評価では、空気1リットルあたり0.1本の石綿を吸い続けた場合、10万人に2.3人が中皮腫や肺がんで死亡すると推計している。2000年に世界保健機関ヨーロッパ地域事務所が示した喫煙者と非喫煙者を分類した推計もほぼ同様の結果で、同0.1本で非喫煙者でも2.2人に中皮腫などの死亡者が発生するというものだ(喫煙者は同4人)。
2001年の日本産業衛生学会による勧告で示された職業ばく露における推計でも、白石綿のみのばく露で1000人に1人が中皮腫や肺がんで死亡するのは空気1リットルあたり150本にばく露し続けた場合とされ、青石綿や茶石綿など角閃石系石綿を含む場合は30本と見積もられている。10万人に1人に換算すると白石綿のみのばく露で同1.5本、青石綿など角閃石系石綿を含む場合、0.3本になる。
上記のリスク評価から換算すれば、同1~10本の石綿にばく露し続けた場合、控えめな日本産業衛生学会の推計でも3~30人(角閃石含む)、アメリカEPAでは23~230人が中皮腫などで死亡する計算になる。
このように国内外のいずれの評価でも「1リットル当たり1~10本程度」の継続的な石綿ばく露であっても中皮腫などにより死亡するリスクが上昇することは明らかだ。
こうしたリスク評価は環境省や厚労省など国の有識者会議でも報告・検討されてきた。たとえば2012年8月の環境省の石綿飛散防止専門委員会で、東京工業大学環境・社会理工学院の村山武彦教授は「かなり荒っぽく言ってしまうと、(白石綿だけのばく露で)大体0.1f/L程度の濃度で10のマイナス5乗(10万分の1)ぐらいの生涯リスクが発生するというふうに言われているのが、これまでの大体の目安かなと思われます」「ほかのもの(角閃石系石綿)を含めるとかなり低い数字(角閃石系のみで0.03f/L)も出てきている」などと報告した。この間の他省庁における有識者会議で同じようなリスク評価が報告されているが、それらを含め、ほかの専門家や国側はとくに異論を唱えていない。
そもそも日本においても国際的なリスク評価を基本に基準を定めており、労働ばく露の上限基準は上記の勧告を受けて是正されている。
つまり、空気中の石綿が1リットル当たり1~10本程度であれば、「健康リスクは検出できないほど低い」などという主張は、実際の被害に基づく国内外のリスク評価を無視したウソっぱちだ。きわめてタチの悪いデマと言い換えてもよい。まして報告書に一部記載があるとしても文脈を無視し、無理矢理2つの文章をつなげて報告書の趣旨と異なる内容を“ねつ造”することなど許されることではない。
このように市教委の主張とは異なり、WHO報告書には「一般環境中の石綿濃度は、1リットル当たり1~10本程度であり、この程度であれば健康リスクは検出できないほど低い」との文章は存在せず、当然ながらそんな「目安」は示されていない。そもそも報告書では「都市における大気中の石綿濃度は、一般に1本以下~10本/Lであり、それを上回る場合もある」との記載に続いて、同じ濃度の吹き付け石綿による潜在的ばく露への懸念が表明されていることは、すでに指摘したとおりである。
WHO報告書では吹き付け石綿による「潜在的ばく露」について「懸念」が示されたものの、当時は被害発生まで明確になっていなかったことからそれ以上の言及はない。だが、その後吹き付け石綿による被害とみられる中皮腫発症が世界的に問題になっている。日本においても吹き付け石綿によるばく露が原因とみられる中皮腫被害をめぐって、民事訴訟で2014年に建物所有者に対する賠償命令(最高裁差し戻しの大阪高裁判決)が確定した事例もある。最近では2022年に福岡高裁で北九州市に対する建物の管理責任が認められ、その後確定している。