合同部隊で重要な役割を果たしたのが、元々メーセ地域に影響力を持つ、カレンニー諸民族人民解放戦線(KNPLF)という組織だ。
同組織は、1978年に創設され、ビルマ共産党の支援を受けて、勢力を保った。
その後、1994年に旧軍事政権と停戦。2009年に国境警備隊(BGF)として、国軍指揮下に編入された。
しかし、クーデターから2年4カ月が過ぎた2023年6月、ついに国軍に反旗を翻した。ミャンマー全国に数多くのBGFが存在するが、KNPLFは国軍に蜂起した最初のBGFだった。
◆結束するカレンニー武装勢力
「軍事クーデターを国民全体が認めていません。我々は人民とともにあるという立場から、停戦を正式に破棄し、攻撃したのです。準備に時間がかかりましたが、我々は、クーデター後、正式に反旗を翻すまでの間、多くの若者に軍事訓練を施し、武器を提供し、逃れてきた公務員や議員の安全を確保するなど、さまざまなかたちで支援していました」
KNPLF共同書記のローレンソー氏(53歳)は、そう明かす。
KNPLFは2009年以降、第1004・第1005国境警備隊(BGF)として、国軍傘下に組み込まれていた。一方で、KNPLFという母体組織は独自に存続。反旗を翻す以前から、KNPLF幹部のひとりは、軍事政権と対立する並行政権の国民統一政府(NUG)で連邦問題担当副大臣を務めていた。均衡を保ちながら、蜂起するための力を蓄えていた。
カレンニーの武装勢力は、KNPLFのほか、1957年に設立されたカレンニー民族進歩党(KNPP)、クーデター後にカレンニーの若者たちで結成されたカレンニー諸民族防衛隊(KNDF)、地域ごとの人民防衛隊(PDF)がある。これら複数の武装勢力が、作戦ごとに指揮官を変え、ひとつの指揮系統で共同して作戦にあたっている。
KNPPの軍事部門カレンニー軍(KA)のアウンミャ総司令官(74歳)の話では、現在、カレンニー州の約70パーセントを抵抗勢力側が掌握しているという。
◆空爆の爪痕
メーセの町には、国軍による空爆の爪痕が生々しく残っていた。
「ここには空から投下された爆弾が不発のまま、道路に突き刺さっていました。あそこに一発、あちらの建物にも一発落ちました」。巡回中の男性警官が指さした。
建物のひとつは、内務省総務局の官舎だった。2023年6月にメーセの戦闘が始まった直後、国軍の空爆で破壊されたという。天井が抜け落ち、壁には爆弾の破片による穴が所々に開いていた。残った壁には、額縁やハンガーがそのまま掛けられていた。
メーセ周辺の住民の大半は、それまで空爆を経験したことがなく、戦慄し、強い恐怖が胸に刻み込まれることとなった。
(つづく)
<ミャンマー現地報告1>内戦下のカレンニー州、抵抗勢力側独自の州警察に密着(写真6枚、地図)
<ミャンマー現地報告2>抵抗勢力の暫定統治進むカレンニー州、戦闘と空爆の爪痕(写真12枚+地図)
<ミャンマー現地報告3>内戦続くカレンニー州、戦時下で支え合う国内避難民(写真9枚+地図)