◆食事は米に油一さじのみ
期待していた食事も悲惨な状況だった。例えば2000年初頭頃の食事は、粘り気のない米に油一さじのみ。おかずとなる副食物は軍の副業地で採れた野菜で賄っていた。栄養失調になる者も多く、12人からなる私の組のうち、少なくとも2人は栄養失調になった。
※食糧配給制が崩壊し、大量の餓死者が発生した1990年代後半の「苦難の行軍」から数年は、軍の食事事情も極めて劣悪だった。
劣悪な食事事情のために脱走兵も発生した。厳しい訓練に疲れ、ひどい食事に失望し、なぜ親の言うことを聞かずに特殊部隊に来たのか、後悔する同僚兵士も多かった。
◆「総爆弾精神」による盲目的な集団
「暴風軍団」で何よりも重視されるのは、「総爆弾精神」だ。これは、首領のために自分のすべてを犠牲にするという思想である。
落下訓練の時には、背中のパラシュートとは別に、腹に予備傘を括りつけるが、予備傘の代わりに爆弾を与えられれば、敵陣に爆弾になって落ちるという忠誠を誓った部隊としても有名だった。
1993年の韓米合同軍事演習に備えた準戦時態勢の時、「暴風軍団」では金正日氏に「予備傘の代わりに爆弾をくれ」という手紙を送り、忠誠を認められたという逸話もある。
当時の私も、将軍様の特攻隊だという自覚を持っていた。それは、自分たちは特別な軍人だという優越感でもあった。何も分からないまま、「自爆勇士」という誇りを持ち、気づけば身を投げだすように訓練に励んでいた。
北朝鮮では9歳から少年団組織に加入し、政治的な組織生活を始める。学校でも思想教育を集中して行う。そんな環境で育った17歳の若者が、外部世界と遮断されたまま、「総爆弾」、「決死擁護」、「自爆勇士」などのスローガンが四方に張られている駐屯地の中で、血を吐くような訓練ばかりの日々を過ごせば、いとも簡単に盲目的な集団になる。
◆忠誠の先に…あまりにも残酷な行く末
「暴風軍団」の兵士の実体は、満足に食べることもできず、まともな社会経験もない洗脳された若者たちだ。当時の自分を振り返ると、分別なくむやみに突き進む火蛾のような存在だったと思う。
しかし、批判すべきは無垢で無分別な若者を利用する北朝鮮当局だ。どこの国でも、軍人である限り命令には無条件で従う。ウクライナへ派兵されている兵士は、主に18~24歳だと推定されている。戦地で北朝鮮兵士が泥酔した、ロシアの指揮系統に従わないなどの報道もあったが、初めて戦争を体験した若い兵士らが、極限の心理状態に置かれ、ひどく混乱した故ではないかと思う。
金正恩氏にとって、「暴風軍団」は一つの道具に過ぎない。閉鎖的な階級社会の中で、自分の将来を切り拓くために国家に忠誠を誓う道を選んだ若い彼らの行きつく先が、戦地であり死であったという事実は、あまりにも残酷だ。