市教育局幼児部のナタリア・ビロフリチェンコさん(59)は言う。
「先生たちは、子どもを愛情で包み込むよう心がけています。抱きしめ、やさしく言葉を交わします。心が傷ついた子も少なくないのです」
爆撃で家族を亡くしたり、家を破壊されて避難生活を余儀なくされた家庭もある。ある日、父親が戦死した子が、突然、教室で泣き出したことがあったという。このためカウンセラーが配置され、子どもたちの癒しの時間も設けている。
帰宅時間になると、教室から駅通路に向かう出入り口の前に保護者が並ぶ。6歳の娘を迎えに来た母親、オルガ・ボンダレンコさん(36)は、家の近所にミサイルが落ち、子どもを外で遊ばせることもできなくなったという。
「ここでは子どもどうしがコミュニケーションしながら社会性を身に着けることができる。地下鉄駅がその場を与えてくれました」
◆「美談」にしてはならず
ハルキウで始まった地下学校の取り組みを、「美談」にしてはならない。地震の被災地で学校が復旧したのではないのだ。人間が引き起こした戦争の殺戮と破壊のなかで、子どもを守るために教室設置を強いられたという現実があるのだ。
国連ウクライナ人権監視団(HRMMU)は、ロシア軍の侵攻から今年2月までの2年間で、少なくとも1万582人が死亡し、うち587人が子どもだったと報告。この悲劇はいつ終わるのか。
(※本稿はふぇみん2024年7月25日付記事に加筆したものです)
あわせて読みたい記事